世界を迎え撃つって守りの発想だよね --- うさみ のりや

アゴラ

先週風邪を引いていて寝込みながら、何となく「市場って何か」という事を考えていたのですが、端的に言えば「商品・サービスが不特定多数の目で評価され需給に基づいて取引される枠組み」ってことだと思うんですよね。

で、市場のグローバル化って何か、って考えるわけですが、僕は今wordpressを使って、ブログで言いたいこと書いて、インターネット空間に公開する、ってことをしているわけなんですが、その過程でデザインやソフトウェアや文献を購入するにあたって、日本だとか世界だとかを意識する事は無いですよね。便利なサービスを「ありがたいな~」って使うだけで体感できる。グローバル化ってぎゃーぎゃー騒ぐまでもなく本当に当たり前の話。ほかにもいくつかサイト作りの手伝いをしているんですが、外国人が作ったものであろうが良いデザインやアプリは採用してリスペクトしますし、何人が作ろうがダメなものはダメとディスる。ほとんどプログラミングも出来ない全くの個人の自分がHPをわりと自由にデザインして、世界中から情報集めて、コンテンツも作って、人からお金を取るなんていう事が出来る時代が来て本当に感謝してます。おかげで自由に生きることが出来てる。ま、かなり社会一般の道から外れてしまったのでその恐さはあるのですがね。

話を戻すと、インターネットの世界、っていうか先端テクノロジーの世界ってもはや一国だけで何かを成し遂げるなんてことは絶対出来ないから、自然にグローバルになっているってことだと思うんですよね。そしてそれは感謝すべきことだと。アダム・スミス先生が言うところの「分業」っていうものが世界規模で展開されるようになって、世の中が便利になっていくスピードが加速化していることを感じる。ちなみに僕から見る英語の重要性ってのは、ちょっとした英語の文章読めて、サービスを使って、なおかつ少し改善の意見でもだせれば十分って感じです。言論市場ってかなりドメスティックな消費市場ですからね。

でも便利になったおかげで割を食う人、つまり便利さに駆逐されてしまう仕事の人に取ってこんな進化は恐ろしい話で、「それこそ世界が攻めてくる」っていうような感覚で受け止めているんだと思う。webサイト屋とかね。そして思考が守りに入って、なんとか自分の立ち位置をこの変化から守らなければ、と「世界を迎え撃つ」という姿勢になるんだろうな~と思う。迫ってきているのは、世界ではなくて、市場なのにね。実際のところ、ソ連ですら敗れた、市場の力に勝てる存在なんてあり得るはずも無いわけで、その流れにそって何が出来るかを考えるしか無いと思うんですよね。

「皆さん、本屋さんで本を買ってください。そうしないと町から本屋がなくなります」 店長の悲痛な叫び

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1778341.html

今日こんな記事を見たんだけど改めてそんなことを痛感しました。新しくて便利なプラットフォームはみんな使うから、旧来のビジネスやっている人は悲鳴を上げるけど、でも「あなたも一消費者の立場になったら、あなたの店では本を買いませんよね」と言わざるを得ない。ある意味で町の本屋も「本を売る」という小売り市場において、amazonとグローバルな競争を強いられているわけですね。でもamazonみたいな巨人を「迎え撃つ」なんて言うことはとても出来ないわけで、町の本屋はよっぽど工夫して役割を再定義しない限りは生き残る術は無いですよね。マジで市場って残酷。

で、思うところは新しい強力なプレーヤーが出てきて自分のサービスが攻め込まれて、守りに入った次点でもう負けはほぼ確定的なような気がするので、人生は常に攻めの姿勢で新しいテクノロジーやサービスを使いこなして感謝するポジションに居続けなければならないんじゃないか、と思う次第です。

火打石

昔とても印象的だった昔話に、明治時代に火打石を売り歩いていた少年の話がありました。その少年はマッチが出てきたおかげで、全く火打石が売れなくなって生活に困り、それを逆恨みしてマッチ屋に放火してやろうと忍び込みます。そしていざ火をつけようと、懐から火打石を取り出してカチカチこすってもなかなか火がつかない。少年はそこで思わず「ちっ、不便だな~。マッチ持ってくれば良かった」と言ってしまうのですが、その瞬間に「はっ」として火打石の時代が終わったことに気づき、放火をやめてマッチ売りになるというお話です。

街角の本屋も同じような思いなのかも知れません。で、こういう時に政府は、産業の新陳代謝を早める方向に制度を作るべきなんだろうと思います。間違っても「商店街活性化」の美名の下に、既存の枠組みを維持するような事はやってはないけないのではなかろうかと。

ま~つらつらと色々述べましたが、人生は常に攻めの姿勢で市場と向き合っていなければいかんのだな~、と痛感した次第です。じゃなきゃいつか「世界を迎え撃つ」とかいう訳の分からないことを言い出すはめになる。でもいつまでも火打石の時代は続きませんからね。

ではでは今日はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。