「携帯電話は使いません」 --- 長谷川 良

アゴラ

米国家安全保障局(NSA)が世界の指導者を盗聴していたというニュースは欧州でも大きな波紋を投げかけている。米国の盗聴活動を批判する声が多いが、「あなたの携帯電話は盗聴を防止できるシステムを持っているか」という一歩、進んだ問題も提示されてきた。


NSAに2009年盗聴された独メルケル首相の携帯電話はノキア6260SLIDEだ。同首相が今、使用している携帯はBlackberryZ10で一応、Krypohandyで盗聴防止システムが導入されている。

面白かったのは、インドのシン首相が「あなたの携帯電話は盗聴されていませんか」というメディアの問いかけに、81歳のインド首相は「自分は携帯電話を使用しない」と答えたというのだ。NSAの携帯電話の盗聴に対して、携帯電話を使用しないことが最善、最強の手段であることは間違いないが、世界の指導者が皆、インドの首相のようには出来ない。緊急に対応しなければならない問題に対して、国家の印を押した書簡を郵送していては解決できる問題も解決できなくなる。インターネット時代、世界の指導者は携帯電話、IT技術を否応なく駆使せざるを得ないだろう。

アルプスの小国オーストリアのファイマン首相は同国のメディアから「首相の携帯電話は米国に盗聴されていませんか」と聞かれた。「私の携帯電話など大国米国は関心がないだろう」とはいえないから、「暗号化技術などを導入しているから安全だ」と答えたという。

英紙ガーディアン電子版によると、世界の35カ国の指導者が米の盗聴工作の犠牲となったという。盗聴された35カ国の指導者は「世界の政治を左右できる影響力のある指導者」と米国の公認を受けたわけだ。近い将来、「G8」(主要国首脳会談)という呼称に倣って、米国公認指導者クラブ「G35」が設置されるかもしれない。いずれにしても、米国の盗聴技術は、電子データの暗号化技術を解読できるというから、対抗手段は現時点では限られる。

ここでは携帯電話が提示する問題を少し哲学的に考えたい。携帯電話は基本的には相手と対話したり、用件を伝えるためにある。その携帯電話の登場でわれわれの相互理解は深まったか、というテーマだ。

携帯電話の登場で世界は本格的なコミュニケーション時代を迎えた。携帯電話は事故や災害時には大きな助けとなる。携帯電話を所持していたから、事故現場から救援を依頼できた、といったケースは少なくないだろう。私たちは携帯電話、それに関連するソーシャルネットワークの登場で24時間、相手をキャッチし、話すことができる時代の恩恵を享受している。

問題は、携帯電話の登場でヒューマン・コミュニケーションは良くなったかだ。妻、友人、同僚との相互理解が深まったか、ホットラインで繋がっている国家同士の関係が改善したか、等だ。対話の頻度は増えたが、その内容が薄くなってきたという。残念ながら「良くなった」と断言できない。全く変わらない、益々悪くなったというケースもあるだろう。携帯電話、IT技術の登場で世界が一層、相互理解を深め、平和になったとは聞かないのだ。

もちろん、相互理解の有無を決定するのは「わたしたち」であり、携帯電話の有無でも送信回数でもない。しかし、24時間、友人と連絡が取れ、対話できる環境で生きながら相互理解が深まらないとすれば、何が問題だろうか。

完全な盗聴防止の携帯電話が近い将来造られる希望はある。しかし、携帯電話などIT技術を駆使して「わたしたち」が相互理解を深めるることができるか、という問いには安易に「イエス」といえない。このように考えると、わたしたちは憂鬱になってしまうかもしれない。

「携帯電話の使用」を断念できない現代人は、携帯電話を有効に利用して相互理解を深めるために努力を積み重ねていく以外にないだろう。技術発展の速度に比べると、わたしたち自身の成長速度はなんと遅々としていることだろうか。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年10月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。