投資信託は必要か。投資信託を通じてお金を貯めるべきか。それは、貯めたお金をどう使うつもりかに依存するであろう。老後生活資金の形成か。若いうちから、そのようなことを考えるのは、まともな人間の生き方なのか。
夢を買うのか。住宅をもつことは、かつては、サラリーマンの夢であった。住宅ローンで買うにしても、頭金として最低限の自己資金は要る。自己資金が大きければ、よりよい住宅が買える、これは間違いない。一方で、元本保証型の貯蓄で最低限の頭金を形成するか、他方で、投資信託を通じた利殖を目指し、よりよい住宅を手に入れる可能性を追求するか。
もっと漠然とした夢はどうか。具体的使途がないのだったら、例えば、別荘とか、豪華海外旅行とか、まさに、具体的な使途がないという自由さが、投資信託のリスクを取れる根拠になる、そういうことはありそうな気もする。
投資に遊びという側面はあり得るのか。投資の名のもとに、投機としてのゲーム性を帯びた行為が横行しているのが現実である。事実上の合法賭博である。しかし、投資信託は、その社会的機能として、長期的資産形成に資することを目的としている以上、ゲーム感覚は馴染まないと考えられる。
万が一に備えるという目的はどうか。不時の出費や定期所得の喪失などに、事前の備えが必要なのは当然である。しかし、普通は、保険を使い、同時に一定額の手元流動性を預貯金の形態で保有するのであって、投資信託を使うことは、あまり多くないであろう。
ただ、理屈上は、例えば、将来の物価高に備えて、インフレ耐性が強い資産に投資する投資信託をもつとか、日本沈没のような事態に備えて、外国資産に投資する投資信託をもつとか、そういうことは十分に検討すべきかもしれない。実際、エマージング株式の投資信託などというものは、将来のグローバル経済の構造変化に対する備えなのではないか。
運用収益で暮らすという用途はあるか。これはある、というよりも、これこそが、将来の購買力の保存と増大という投資の、そして投資信託の究極目的に他ならないのだ。ところで、暮らすには現金が要る。だから、暮らすという目的に即したときには、投資からは定期的な利息配当金等が生じなければならない。
配当金等で暮らすことを考えるときに、決定的に大切なことがある。元本が減れば、配当金等も減るということだ。元がなくなれば、子もなくなる。だから、元の資産を守れということである。これこそが、投資の王道である。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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