プロシクリカリティと雇用の重視

森本 紀行

市場原理は、最初から、循環性、即ちシクリカリティを内包している。価格が下がれば、需要が増えて、価格は下げ止まる、そのような価格変動による需要の自動調節、同じことを逆にいえば、需要変動による価格の自動調節こそが市場原理の本質である。


しかし、現在では、シクリカリティによる自動調節作用は、常に機能しているわけではない。下がったら更に下がるという事態、即ち、プロシクリカリティは、今日では、普通に生じる。シクリカリティでは、均衡回復力が働くが、プロシクリカリティでは、それが働かず、不均衡が累積していくのである。

プロシクリカリティが現れると、そこで市場原理が機能しなくなる。あるいは、市場原理に任せた自然回復を待つならば、深刻な危機に突入する可能性があるということだ。そこで、プロシクリカリティを逆方向へ転換するためには、政府が積極的に機能しなければならなくなるのである。

プロシクリカリティは、実に悩ましい。整備された自由市場のなかで、各企業、各金融機関が正しく経営され、正しく行動する結果として、その集積的効果が非常に大きな損失を生む、即ち少しも正しくない効果を生む、というのは、皮肉というか、解き得ない難問である。だから、政府の機能が必要なのだ。

政府の機能といえば、日本では、直ちに財政積極策になってしまうであろう。結果として、「大きな政府」に帰着してしまう。実は、オバマ大統領は、2009年初頭の就任演説で、経済の成功を測る指標として、「繁栄がおよぶ範囲」(the reach of our prosperity)をあげていた。政府の機能として、オバマ大統領が重視していたのは、まさにこの「繁栄がおよぶ範囲」を拡大することだったのだ。

政府の機能の例としてオバマ大統領があげたのは、雇用、医療、老後保障であった。特に、雇用をあげたのには、政治的にも深い意味があるのであろうが、雇用の急激な調整が、不況の結果というよりも、不況の原因として機能する、まさに、そこにプロシクリカリティが働いてしまうことも十分に意識したものであろう。

もしも、オバマ大統領に倣って、企業価値を測る指標として「繁栄がおよぶ範囲」を用いるならば、労働者と株主の関係は一体どうなって、経営の正しさは、どう評価されるのか。もしも、短期的な株主の利益に反してでも雇用の確保を図るとしたら、プロシクリカリティは緩和されるであろう。しかし、それは、個社の経営の次元では、考え得ないことだ。社会の問題として、企業統治の構造の問題として、あるいは、雇用関連法制の問題として、考えられるべきことである。

まさに、そのような政策立案が、政府の機能である。では、政府の機能によって、民間企業の行動規範を変え得るのか。雇用とは、要は、人である。人をどこまで市場化できるかは、哲学的な問いである。雇用の市場化に行き過ぎがなかったかどうか、それが、プロシクリカリティの大きな原因を作っていないかどうか。安倍総理大臣も雇用重視であるのは、哲学的な発想の転換であろうか。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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