「北で粛清されない『男』の生き方」を紹介したので、今度は「北で最も粛清されやすい男たち」を書く。ズバリ、経済担当関係者(エコノミスト)だ。彼らは起用された当初は政権中枢から用いられ、かわいがられるが、その時期は北では一般的に、短い。多くはその後、粛正され、処刑されている。
最近の例を挙げる。2009年11月30日に実施された北朝鮮の通貨ウォンのデノミネーション(通貨単位変更)は国内経済を活性化させるどころか、混乱に一層拍車をかける結果となったが、同貨幣政策を実施した中心人物、朝鮮労働党の朴南基計画財政部長は2010年1月解任された後、「国家経済を計画的に破壊しようとする反革命分子」として処刑されたという。
古い話では、1990年代、羅津・先鋒自由経済貿易地帯を西側企業に紹介してきた北朝鮮の代表的“エコノミスト”金正宇氏も処刑されている。金正宇氏が自宅に数十万ドルを隠していたという汚職容疑だ。西側では「北朝鮮当局が経済自由地帯構想を危険と考え直し、撤回した結果」と受け取られた。
当方は金正宇氏と会見したことがある、スイス・ダボスの「世界経済フォーラム」出席後、オーストリア商工会議所開催の「自由経済地帯説明会」に参加した時だ。円満な笑顔をたたえ、この人物が北から来た人物かと驚くほど、その振舞いは洗練されていた(「北朝鮮“エコノミスト”金正宇氏の囁き」2006年8月27日参考)。
平壌の大城銀行の出向社員としてウィーンに駐在していたホ・ヨンホ氏はロンドン留学で経済学を学んだ若手エコノミストだった。北の対オーストリア債務返済を担当して活発に動いていたが、ある日、「投機に失敗した」との理由で帰国の指令を受けた。ホ氏とビジネスをしていたオーストリア人によると、「彼は処刑された」という、といった具合だ。当方が接触した範囲でも、北のエコノミストたちは悲惨な運命を味わっているのだ。
北では経済関係者は上からの指令に基づいて政策を実施するが、経済路線がうまくいかなくなれば必ずその責任を取らされる。「経済改革をやれ」と命じた金正日総書記が責任を取ることは絶対になかった。
そういえば、冷戦時代の旧ソ連・東欧諸国でも同じだった。チェコスロバキアの著名なエコノミストを思い出した。冷戦の終焉を迎える直前の1988年だ。チェコスロバキアの経済自由化理論を構築した後、スイスに亡命したオタ・シク氏とサンクト・ガレン大学内で会見したことがある。同氏は経済改革の旗手として、「中央計画経済」でも「資本主義経済」でもない「第3の道」を提唱したことで有名となり、チェコ共産党政権下で副首相を務めていた。シク氏は「市場メカニズムは民主主義体系下でしか機能しない」と、当方に熱っぽく語ってくれたものだ。
それにしても、どうして旧ソ連・東欧や北朝鮮ではエコノミストの運命は芳しくないのか。賢明な読者ならば、その答えをご存知だろう。共産主義経済体制や独裁政権下では健全な経済マインドは成長しないから、その改革はどうしても中途半端に終わるからだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年12月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。