橋下徹氏の終焉

池田 信夫

大阪市の橋下市長が辞職して出直し市長選挙に出馬する方針を表明したが、これは無意味な「自爆選挙」である。当選しても議会の勢力は変わらないし、対立候補がいなかったら信任投票にもならない。議会運営が行き詰まるたびに市長選挙をやっていたら、民主政治は成り立たない。


彼が大阪府知事だったころから賛否両論があったが、私は応援してきた。それは日本のコンセンサス政治が行き詰まり、「一君万民」型デモクラシーを実験してもいいと思ったからだ。そもそも地方議会なんかいらない。首長が好きなようにやって、いやなら引っ越せばいいのだ。そういう「足による投票」で都市化を進めることが、日本の立ち直る道だと思う。

橋下氏とはツイッターで何度も議論したが、上のような私の話に興味をもってくれた。負の所得税や教育バウチャーなどの自由主義的な経済政策を実験したのも、貴重な存在だ。原発事故をめぐっては、当初は今の細川=小泉コンビのように錯覚して「原発ゼロ」をとなえていたが、そのうち誤りを認めて事実上、撤回した。これは著名人の中ではほとんど唯一といっていい例外で、彼の柔軟性と政治家としての資質を示している。

彼の政治手法には批判も多いが、私は大阪の中なら少しぐらい暴れてもいいと思った。よくも悪くも、日本全国では彼のような政治手法は通用しないからだ。だから国政選挙に出ることには反対した。しかし彼も「勝てる選挙」の誘惑には勝てず、維新の会は石原慎太郎氏と合流する変則的な形で2012年の総選挙に出て、一定の勢力を得た。

そこまではまだよかったが、昨年の参院選の前に慰安婦問題で失言したことをきっかけに、支持率が暴落した。彼のいう事実関係は正しいが、「慰安婦が必要だった」という価値判断は余計だ。すぐ撤回すればよかったのに、「誤報だ」といいつのって泥沼にはまった。

結果的には参院選で敗北し、大阪に戻ったのはよかったが、求心力がなくなって議会がついてこなくなった。二兎を追うものは一兎をも得ずである。彼も自覚しているように、大阪都構想はもう死んだ。それ自体に意味があるかどうかは疑わしいとしても、住民がみずから統治形態を変えるのは意義のある実験だった。残念である。

しかしカール・シュミットの指摘した民主政治の非決定性のジレンマを解く方法は、論理的には都市国家しかない。すなわち都市の中では独裁で、人々は都市を選択する啓蒙専制君主である。これはスティーブ・ジョブズから柳井正氏に至るまで、現代においてイノベーションを生み出す唯一の方法だ。

実は都市国家は、歴史上も国家の多数派だった。主権国家という不安定で矛盾した統治形態は、たかだかここ300年ぐらいのもので、いつまでもつかわからない。インターネットが外側から、そして愚かな政治家が内側から主権国家を壊し始めている。

ファーガソンなどがいうように、21世紀は都市間競争の時代である。向こう10年ぐらいは変化が見えないかもしれないが、50年たったら世界は大きく変わっているだろう。橋下氏には、それを日本で最初に実験したという名誉ぐらいは残るかも知れない。