「ヒトラーはドイツ人、ベートーベヴェンはオーストリア人だ」
オーストリアに住みだした直後、よく耳にした話だ。しかし、事実は逆だ。アドルフ・ヒトラーは1889年4月20日、現オーバー・エステライヒ州のブララナウ生まれの生粋のオーストリア人であり、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは音楽ファンなら誰でも知っているように、1770年12月ボンで生まれたドイツ人だ。
少しでも歴史を知っているならば、すぐ分る嘘をオーストリア人は他所から来た者にそれとなく呟くのを耳にしたことがある。オーストリア人にとって、戦争犯罪者アドルフ・ヒトラーが自国出身者であったことを出来れば忘れたいし、「楽聖」ベートーヴェンは1827年3月26日、肝硬変でウィーンで亡くなったこともあって、「オーストリア人だ」と誇りたくなる気持ちは理解できる。
しかし、事実の前にはオーストリア人もどうすることもできないが、オーストリアは戦後、「ヒトラー・ナチス政権の戦争犯罪はドイツ軍の責任であり、戦争時にはわが国はドイツに併合されていた。わが国はナチス政権の最初の犠牲国だ」と久しく主張してきた。
オーストリアにとって幸いだったことは、「モスクワ宣言」(1943年11月)がオーストリアをナチス政権の犠牲国と認定したことだ。同宣言はルーズベルト米大統領、チャーチル英首相、スターリン・ソ連首相の3人によって公表された声明文で、第2次世界大戦中の残虐行為を戦争犯罪と指定し、主にドイツ軍将兵とナチス党員がそれに該当とする明記している。オーストリアは1938年、ドイツに併合されたが、「モスクワ宣言」で「オーストリア併合」は無効と宣言されたのだ。
オーストリアは「モスクワ宣言」を唯一の拠り所として世界ユダヤ協会からの戦争責任の追及をかわしてきた。しかし、ワルトハイム大統領(任期1986年7月~92年7月)の戦争責任容疑問題が国際問題となり、同大統領自身は戦争犯罪の関与を否定したが、再選出馬を断念せざるを得なくなるなど、世界ユダヤ協会や国際世論の圧力が高まっていった。
そこでフランツ・フラ二ツキー首相(任期1986年6月~96年3月)はイスラエルを訪問し、「オーストリアにもナチス戦争犯罪の責任がある」と発言し、ユダヤ人民族に初めて謝罪を表明した。同発言はオーストリア・イスラエル両国関係を正常化に導いた「歴史的な発言」として高く評価された。オーストリアが「犠牲国」から「加害国の一国」(Mittaterschaft)」と歴史の見直しを下した瞬間だったのだ。
ここまで書いてくると、オーストリアの戦後の歴史は、反日攻撃を繰り返している韓国の歴史とよく似ていることに気が付く。
韓国はこれまで日本軍の戦争の犠牲国と主張してきたが、日本が戦争を始めた時、韓国は既に日本領土であり、多くの朝鮮人青年が日本軍兵士として戦った。朴槿恵・現大統領の父親、朴正煕(大統領)は日本陸軍士官学校を卒業後、満州国軍歩兵第8師団に配属され参戦し、満州国軍中尉で終戦を迎えたことは周知の事実だ。
ヒトラーに強制的に併合されたとはいえ、多くのオーストリア人はヒトラーを歓迎し、ナチス軍兵士として戦争に参戦したように、韓国も日本に強制的に併合されたとはいえ、戦争時、日本軍と共に戦争に参戦した事実は変わらない。そしてオーストリアが久しく犠牲国を主張してきたように、韓国も同じように犠牲国を主張し、これまで「正しい歴史認識」を意図的に避けてきた。
犠牲国を装ってきたオーストリアが最終的には戦争責任を認めざるを得なくなったように、韓国は本来、オーストリアと同様、「犠牲国」役を放棄し、戦争責任を認めなければならない。それこそ朴槿恵大統領が頻繁に主張する「正しい歴史認識」だろう。韓国の反日攻勢は日本の戦争責任を追及するというより、自国の戦争責任への追及をかわす戦略ではないか、といった疑いすら浮上してくる。
ただし、日本に併合された朝鮮民族がさまざまな迫害、差別、弾圧を受けたことは事実だ。しかし、それらは厳密にいえば、戦争の被害ではない。欧米列強国の植民地支配下で多くの原住民が迫害されたように、朝鮮民族も支配国・日本によって不本意な生活を強いられたのだ。
韓国側にとって不利な点は、「モスクワ宣言」のように、日韓併合を無効宣言するような外交文書が当時、存在しないことだ。しかし、韓国が戦争責任を免れたのは、オーストリアの戦争責任を執拗に追及したユダヤ民族のような存在がなかったからだ。それをいいことに、韓国自身がユダヤ民族の役を演じ出したわけだ。韓国に求められることは、フラ二ツキー首相のように勇気ある決断を下せる政治家の出現だ。
ちなみに、韓国とオーストリア両国は戦後の歴史が酷似しているだけではない。両国は不思議な縁がある。韓国初代大統領、李承晩大統領の夫人はウィーン生まれのフランチェスカ・ドナー夫人だったのだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年2月4日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。