独ヨアヒム・ガウク大統領は3月7日、第2次世界大戦中にナチス・ドイツ軍が民間人を虐殺したギリシャ北西部のリギアデス村(Ligiades)の慰霊碑を訪問し、ドイツ軍の蛮行に謝罪を表明した。
ナチス・ドイツ軍は1943年10月3日、ギリシャのレジスタンスによって2日前独軍士官が殺害された報復として、民間人83人を殺害した。
一人の女性が追悼式典で犠牲となった83人の名前を読み上げた。家族全員が殺されたり、焼殺された赤ん坊が見つかった、という。
ギリシャのカロロス・パプリアス大統領と共に慰霊碑を訪問したガウク大統領は犠牲者の名前を聞きながら、涙を禁じ得なかったという。
大統領は慰霊碑の前で「恥と心の痛みを感じながら私はドイツの名において殺された人たちの家族に許しを請う」と述べている。
独週刊誌シュピーゲル電子版は7日、「ガウク大統領のギリシャ訪問、リギアデス村で頭を下げた」というタイトルで記事を発信し、「ガウク大統領はナチス・ドイツ軍の犯罪に対して謝罪を表明したが、賠償に関する厄介なテーマは大統領のリギアデス訪問時にも持ち出された」と報じた。
ガウク大統領の演説が終わると、リギアデスの生存者たちは「公平と賠償」と書かれたポスターを掲げ、「大統領の謝罪はまったく意味がない。われわれにとって必要なことは具体的な賠償だ」と叫び出したという。
ドイツ政府はこれまで「賠償問題は戦後直後、解決済み」という立場を堅持している。だから、ギリシャと賠償問題で交渉する法的な理由はなく、連邦大統領もこの問題で何もいえない。ガウク大統領は側近と話した後、生存者たちに向かって、「あなた方の要望をベルリンに伝える」と述べるだけに留めた(ギリシャのアブラモプロス外相(当時)は昨年4月24日、第2世界大戦の賠償をドイツに求める考えを明らかにしている)。
ちなみに、日本は戦後、サンフランシスコ平和条約に基づいて戦後賠償問題は2か国間の国家補償を実施して完了済みだ。一方、第1次、第2次の2つの世界大戦の敗戦国となったドイツの場合、過去の賠償問題は日本より複雑だ。ドイツの場合、国家補償ではなく、ナチス軍の被害者に対する個別補償が中心だ。ギリシャではドイツに対して戦後賠償を要求する声が依然強い。
予想されたことだが、中国の王毅外相は8日、北京の記者会見で、「日本は第2世界大戦後のドイツを手本とすべきだ。ドイツはナチス軍時代の蛮行を謝罪しているが、日本は戦後秩序の修正に乗り出している」と早速、日本を批判した。しかし、戦後70年を迎えようとしているが、ドイツも犠牲国側の要求や批判に対し、日本と同様、その対応に苦慮している、というの現実だ。
ガウク大統領は昨年9月4日、ドイツ軍が1944年6月10日、642人を虐殺したフランス中西部のオラドゥール・シュル・グラヌの村を訪れ、今回と同じように、ドイツ軍の蛮行に謝罪表明したが、独連邦大統領の同村訪問は戦後初めてだ。独仏両国は過去の痛みに触れることにそれだけ多くの時間と準備が必要だったのだ。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年3月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。