元も子もなくなるから資産を守れ

森本 紀行

酪農において、牛を飼うのは、食肉用に牛を売ることを目的としてではなくて、牛乳を搾ることを目的にしている。だから、牛は売らない。牛を売ることは、元も子もなくすことだからだ。元も子もなくすというのは、元(元本あるいは元手の「元」)がなくなると、当然に、子(利子の「子」)もなくなるという当たり前のことを意味している。


牛乳を生産する酪農家にとって、牛は元で牛乳は子である。牛を売れば牛乳生産はできなくなるのだから、牛は売れない。家賃収入で暮らす大家さんは、家を売らない。家が元で家賃が子だからだ。金利生活者は、預金や債券から生まれる利息で生活しているのだから、元本である預金や債券は手放せない。

年金の積立制度というのは、実のところ、年金資産を元として、子としての年金給付原資を生む仕組みである。故に、年金資産は売られることを前提にしていない。

仮に予定利率が3%で、資産額が1000億円あるならば、1年間に30億円の利息配当金を見込んでいるということだ。そのとき給付年額が60億円ならば掛金年額は30億円で足りる。この算数が、事前積立制度としての企業年金の経済の基本である。

年金制度の場合、年金資産は、酪農業における乳牛と同じなので、毀損・喪失はあってはならないことである。半永久的に積立基準額が確保・保全されなくてはならない。もしも、資産が100億円減ってしまったら、同じ利率3%に対して、利息額は27億円になる。3億円も給付原資が不足してしまうのである。その不足を元本から払うと、資産不足が拡大し、翌期の利息不足が大きくなる。不足が不足を生むという負の連鎖が起きてしまうのである。

金利生活者にしろ、大家さんにしろ、資産の切り売りは、将来生活の破壊につながり得る窮余の策なのである。年金の場合は、社会的責任上、そのような窮余の策はとれないのである。

さて、ここから一気に、資産運用の目的という本質論である。もともと、個人富裕層(まさに、不動産持ちの大家さんであり、金利や配当金で生活する人)の資産運用の目的は、資産の保全であるとされてきた。これは、上で述べたような経済の仕組みからいえば、至極当然のことである。

では、年金の資産運用の目的は何か。やはり、資産の保全と安定的利息配当金収入の確保になるのだと考えていいであろう。もしも、そうならば、現在の一般的な年金資産運用のあり方、総合収益率の管理を目指すあり方は、資産運用の本来の目的からは、ずれているかもしれない。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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