日本はロシアとどう付き合うべきか?

松本 徹三

筑波大名誉教授で国際政治学者の中川八洋さんが、「ウクライナに学び、樺太天然ガス輸入を即時中断せよ」という記事をアゴラに寄稿しておられる。率直に申し上げて、「国際政治学者」というものは、この程度の考えで勤まるのかと少しびっくりした。ロシアを個人的にお嫌いなのかもしれないが、「野蛮国」と決め付けるのも勿論単純過ぎるし、そもそも「野蛮国」なるものの定義も定かでない。一般人が情緒的に使うのなら別に構わないが、一流大学の名誉教授の発言となると、日本の大学のレベルが少し心配になる。


ロシアは大国であり至近距離で日本と国境を接している数少ない国の一つだから、この国とどう付き合うかは、日本の国家戦略にとって極めて大きな問題だ。単純に好き嫌いで言っても、東西冷戦下では、「米国の敵だから日本の敵」(当時の左翼に言わせれば、逆に「米国の敵だから正義の国」)という事で簡単に片付けられたが、多極化の進んだ現時点では、そうもいかない。

国家戦略としての選択肢を考えるなら、勿論、「単純な好き嫌い」でものを決める等は論外だ。結論から先に言うなら、私は、対ロシアの関係は日本にとって極めて重要なカードになるので、デリケートに(極限まで気を使って)扱うべきという考えだ(「極限まで」という事は、対米、対中と同レベルという事だ)。好むと好まざるに関わらず、台頭する中国との海洋資源を巡る緊張関係が避けられない日本としては、その中国との間に長い国境線を持ち、その内側の自国領に多数の漢民族が居住しているロシアとの緊密な連携が必要になる局面も、将来は大いにあり得るだろう。

中川さんの論考に戻ると、結局この人が言わんとしている事は、

  1. ウクライナへのガス供給の値上げと、ウクライナ側の不払いに際しての供給停止は、「法と正義」にもとり、ヤクザまがいだ。
  2. だから、ロシアという国を信用してはならず、同じような目に遭わぬように、日本はロシアから天然ガスを買ってはならない。
  3. エネルギーが不足するなら原発をどんどん増やせばよい。
  4. ロシアにとっては「隣国は全て植民地」だから、「異常な親ロ派の安倍首相」が率いる「国家意識の薄い現在の日本」は、このままではロシアの植民地になるしかない。

という事のようだ。

3)は「全然次元の異なる話」だし、4)に至っては、このような先生に国際政治学を学んでこられた筑波大学卒業の方々に同情する以外には言うべき言葉もないが、私が今回この記事をわざわざ引き合いに出したのは、この際、1)と2)について、一応の検証をしておく必要を感じたからだ。

残念ながら、現在この地球という惑星に住でいる人々は、そんなに心が清らかで優しいわけではない。現実には相当に物欲や名誉欲が強くて、且つ闘争本能を持っている。しかも、この人々の殆どは、例外なくどこかの国の国民として生活しており、その生活は、その国の政治家の能力(交渉力)と識見(戦略眼)によって大いに左右される事になる。従って、国民の生活に責任を持つその国の為政者は、自らが持っているあらゆる力と、考え得るあらゆる術策を使って、自国に利益を持ち込もうとするのが当然だ。これは「文明国」たると「野蛮国」たるとに関係なく、普遍的に言える事だ。

これは、企業の経営者が株主と社員の為に秘術を尽くして会社の利益を最大化しようと努力するのと何等変わる事はない。お互いに少しでも自分たちに有利な取引条件になるように考えるのであり、見通しが甘ければ、企業なら倒産、国家なら国民が塗炭の苦しみを舐める事になる。学者先生方のように実業に手を染めた事のない人たちは、「たかが金儲けの為」と見下すかもしれないが、実業の世界の毎日はそれなりに厳しく、「迷いと恐怖に打ち勝って肚を決め、相手の一挙手一投足に身を削る思いをする」毎日なのだ。

ウクライナは地味豊かな穀倉地帯であり、かつてのソ連邦を形成した国の中ではロシアに次ぐ重要な国だった。ソ連邦が解体した時点では、解体の立役者だったゴルバチョフは、CISという概念を作ってグループの結束を維持しようとしたが、欧州に近い国にすれば、「CISに留まるよりはEUに近づく方が国民によりよい生活を保障出来るだろう」という考えから、このくびきから逃れる方向へと動きつつあるのは当然だと思う。

しかし、そうなるとロシアはどうするだろうか? 中川先生を含む皆様は「自分がCISという企業グループの中核であるロシアという企業の経営者だったらどうするか」という観点から考えて頂きたい。私なら当然「天然ガスの供給」を最大の武器として使う。そして「あなた方が我々のグループ内に留まるなら、これまで通りの優遇価格を適用するが、競合するグループに鞍替えするなら、勿論値段は上がりますよ」と言うのが当然だ。そうなると、相手国は、「さて、どちらが得だろうか」と思い悩む事になる。

現在、ウクライナは、ロシアが想定外の強硬な対応をしてきた事に驚き、その対応に苦慮しているが、それは、申し訳ないが「自分たちの見通しが甘かった」からに他ならない。ビジネスの世界では、「状況の変化に従って、売り手や買い手が手の裏を返したように取引条件を変えようとする」等という事は日常茶飯事だ。だから、「あらかじめ契約条件を厳密に取り決めておき、いざとなれば訴訟で解決出来るようにしておく」とか、「常にセカンド・サプライソースを確保しておく」等の方法で、関係するみんながそれぞれに不測の事態に備えるように心掛けているのだ。

「交渉の背景で軍事力をちらつかせる」等という事は、かつては日常茶飯事の如く行われてきたが、現在は、流石にそういう露骨な事は、先進国間では日常公然とは行われなくなった。しかし、そういう事が完全になくなった訳ではない。それ以前に、相手国の中にいる自国のシンパを煽動してデモやストをやらせるとか、犯人が特定出来ないようなやり方でサイバー攻撃をしかけるとか、周辺の海上で実質的な封鎖や漁業妨害を行うとか、国際的な場での相手国のイメージを傷つけるような宣伝活動を活発にやる等の事は、大いに可能性がある。これらの全ては、要するに、交渉を有利にする為の「力」の行使である。

一旦契約が行われれば、その履行(具体的には支払い)を求めるのは当然だ。実業の世界では、供給の停止は勿論、その取引に関係のない契約の解除も視野に入れる。支払の督促は、多くの企業にとって日常業務の大きな部分を占めるものであり、そのポイントは、如何にして相手の持っている現金を他社ではなく自社に対して優先的に使わせるかという事だ。このような常識に基づいて考える限り、ロシアがウクライナに対して行った天然ガスの供給停止については、少なくとも私には殆ど違和感がない。

クリミア半島の強引なウクライナからの分離は、国際的には勿論大きな論議があって然るべきだが、私は、ここでもまた、ロシアが別にヤクザまがいの事をしたとは思っていない。「住民の殆どがウクライナの国民ではなくロシアの国民になりたいと思っているのなら、その意志を尊重すべき(民族自決の原則)」というのは当然一つの考え方だ。このような動きに対しては、ウクライナ政府としては「自国の軍隊によって阻止する」しかないが、そうなると、住民側も、色々な表面上の偽装を施して、ロシアから「これに対抗出来る武力」を導入するのが、これまた当然だ。要するに「法と正義」の観点からは曖昧さが残る場面では、結局は「力」が全てを決する事は、昔も今もあまり変わりはない。

要するに、ウクライナで起こった事は、それぞれに大きな利害関係を持つ「米国・EU」と「ロシア」との角逐であり、直接的には利害関係のない日本は「力による現状の変更は如何なる場合でも認められない」という原則論を唱えていればよいだけで、「制裁への参加」まで踏み込む必要は特になかったのではないかというのが私の考えだ。

勿論、「日本は、如何なる場合でもほぼ盲目的に米国側につく、最も忠実な国なのですよ(だから、中国の脅威に対して日本を守りなさい)」と米国にアッピールする機会としてこれを利用したという事もあろうが、「極東での問題が複雑化している現在、安易にロシアカードを捨ててしまう事はなかった」と、実は私は今なお心密かに思っている。

さて、最後になってしまったが、ロシアからの天然ガス輸入の可否について論じたい。私は、勿論、「大いに推進すべき」という考えだ。理由は、中近東やアメリカのシェールガスへの依存度が過大になるのを防ぎ、リスクを分散すべきという観点による。従って、ロシアへの依存度も、勿論、最大で10-20%程度に留めるべきだ。

日ロ関係が、日本側の思惑に反して、何等かの事由で将来暗転するリスクは勿論ある。「何等かの事由」とは、勿論、プーチンやロシア人全般の性格によるものではなく、国際的な力のバランスと彼等の戦略的な選択によるものである(いや、場合によれば、日本側の戦略的な選択によるものかもしれない)。従って、その場合の対応策をあらかじめ考えておくべきは当然だ。

対策は、これまた通常の企業活動と同様、先ずは契約条件をきっちり詰めておく事が原則だが、「契約等というものは何時でも反古にされる可能性がある」というのも事実だ。だから、もっと本質的に必要な事は、「契約を反古にした時には相手の損失のほうがこちら側の損失より大きくなる」状況をあらかじめ作っておく事だ。

もう三年近くも前の事になるが、私は2011年8月29日付の「総合的な長期エネルギー政策」と題するアゴラの記事で、「サハリンの天然ガスで直接発電して、海底電線で日本海沿岸の数カ所に直流配電する」事を提言している。その方が、天然ガスをわざわざLNGにして特殊な船舶で運び込むより、相当低コストになる筈だし、海底に施設するパイプでガスを送る方法と比べても、コストとリスクが共に低くなると思われたからだ。

しかし、それ以上に、こうしてサハリンで発電した電力は、日本以外に売るのはほぼ不可能と思われるので、供給を停止した場合の損害はロシア側の方がはるかに大きくなり、従ってそのリスクも少なくなるというのが、私の提言の重要なポイントの一つでもあった。勿論「CO2の排出枠もロシア側の問題となる」という利点も忘れてはならない。

日本人は、長らく海に守られていて、幕末に至までは諸外国との難しい交渉に曝される事がなかった為か、一般に外国との交渉事が下手なようだが、もうそんな事は言っていられない。「どうせ手玉に取られる」等という敗北主義的な考えにはこの際きっぱりと決別して、「堂々と、且つ、したたかに」諸外国に伍していくべきだ。相手は、米国であれ、中国であれ、ロシアであれ、同じ事だ。