花田紀凱さん、「冤罪」を煽るような記事はお控え下さい

北村 隆司

産経新聞の【花田紀凱の週刊誌ウォッチング】に「片山被告を「さん」付けしてきた『週刊現代』の言い訳」と言うお粗末な評論記事が出ていました。

  1. 片山祐輔の“擁護記事”を4回も掲載したが、片山祐輔が自白した事をどう弁明するのか?
  2. 「片山さん」という呼び方をしていた。
  3. 「さん付け」を通してきた週刊現代には、片山被告が無罪であるという確証があったのか。
  4. 「冤罪の可能性を指摘することはメディアとしても当然の役割であり、これからも続けていく」等とは「苦しい言い訳だ」

と言う花田氏の「週刊現代」批判理由は、「罪刑法定主義」「推定無罪」「再審制度」の三原則を否定するだけでなく、やっと下火になりかけた罪人を作って貶める「メディア・パニッシュメント」を復活させ、逮捕=有罪、自白=犯人と言う誤った考えを国民の間に定着させる恐れがあります。


「週刊現代」が片山容疑者を「片山さんという呼び方をしていた」と批判していますが、容疑者や被告の呼称については、1984年のNHKに続き、1989年には全国紙、地方紙、通信社、放送各社も逮捕時に呼び捨てにすることは罪刑法定主義に違反するばかりでなく、被疑者を犯人扱いする事になるなど人権上の問題があると言う考えから、呼び捨てを廃止して久しくなります。

この事からも、花田氏の考えは「おいこら警察」的、復古主義としか思えません。

現在では推定無罪の原則は更に厳格に解釈され、裁判で有罪判決が確定するまでは一般市民に限りなく近く扱われるべきだという理解が国際的にも定着し、私人である報道機関による報道被害もこの原則違反と考えるのが常識になりつつある事を考えると尚更です。

「自ら率先して罪を認めた片山は別だ」とか「こんな細かい事で、一々角を立てるな」と考える人も多いかもしれませんが、国の基本的な考えを否定する花田氏の批判を国民が信じるようになれば、社会が大混乱に陥る重要な問題です。

「その国の民主主義の成熟度は刑事手続きの適正さを見ればわかる」とはよく言われる事ですが、この記事は権力の行き過ぎを監視する対価として報道機関に賦与された「報道の自由」の乱用であり、報道機関に対する国民の信頼の裏切り行為です。

そして、このような無責任な扇動報道が横行すれば、故立川談志師匠の「新聞で信用できるのは、日付けだけだ」と言う言葉が本当になる日も近い気がします。

花田氏の傍若無人ぶりに驚き、同氏の職歴をネットで調べて見ますと、『週刊文春』の編集長時代に部下が取材した殺人事件で、少年法に抵触する事を承知の上で、加害少年の実名報道にゴーサインを出したり、自ら編集長を務めた『WiLL』に、社民党(旧社会党)元党首の土井たか子氏を「本名『李高順』、半島出身とされる」と記述し、最高裁で敗訴が確定するなど儲けや売名の為には法律も倫理も無視する人物像が浮かびました。

日中・日韓問題や集団的自衛権、改憲問題などの同氏の保守的な意見には参考になる事も多く、今後も活躍して欲しい人物の一人でしたが、社会的な責任の基本も守れないようではジャーナリストとしての許容範囲を逸脱しています。

欧米とは異なり、検察側に立った報道が多く、裁判官が検察・警察に有利な心証を抱いている日本では、一度起訴されると北朝鮮より高い約99%(ほぼ全て)の有罪率を誇る(?)のが現状です。

だからと言って、無罪判決が出ても「過去の犯人視報道は間違っていた」と公式に謝罪表明することもなく、報道における推定無罪は有名無実化していますが、この有名無実化には花田氏のような司法権力寄りコメントの氾濫が影響していることも間違いありません。

冤罪を作るのは検察であっても、罪人を作って貶めるのがマスコミのメディア・ストームである事をよく知るある現役の長老記者は、「地検からのリーク、じゃんじゃんさせなさい。どんどん捜査情報、その関連情報を取りなさい。取材しなさい。そのためには厳しい夜回りも朝駆けも必要でしょう。しかし、その先で誤ってはいけない。報道機関は、検察と一心同体になってはいけないし、二人三脚で歩んではいけない。いつでも厳しく批判しなければならない。

最近の新聞、テレビは、権力機構や権力者に対して、真正面から疑義を唱えることがずいぶん少なくなったと思う。お行儀が良くなったのだ。警察組織はもとより、政府、政治家、高級官僚、大企業やその経営者などは、いつの時代も自らに都合の悪い情報は隠し、都合の良い情報は積極的に流し、自らの保身を図ろうとする。そして、権力機構や権力者の腐敗は、そこから始まる…ところが、報道機関はいつの間にか、こうした取材対象と二人三脚で歩むことが習い性になってしまった。」と警告しています。

花田氏に限らず、司法を扱う全てのジャーナリストは、東電OL事件、足利事件、布川事件、袴田事件など次々に明らかになった冤罪が、「自白」を証拠の柱として有罪判決を受けたもので、これ等の事件の殆どが、罪刑法定主義やそれと並ぶ刑事法の原則とされるヘイビアス・コーパス(不当に長期に亘る抑留又は拘禁の禁止)や法の適正手続きを前提としたデュー・プロセスに違反した結果だと言う事実をもっと認識して欲しい物です。

2014年6月22日
北村 隆司