習近平の「統一戦線」  何と闘っているのか

津上 俊哉

  先日香港明報に「習近平、就任前に百名を超える『紅後代』(革命元老の子弟)と密会」という興味深い記事が載った(習近平上台前密晤逾百「紅後代」)。要旨以下のような記事である。

習近平が第18回党大会で総書記に選出される直前の9月、2週間ほど消息不明になったことがあった。諸説が取り沙汰されたが、実はこのとき、密かに百名を超える「紅後代」(革命元老の子弟)と集中して面談、自身の状況認識、今後の施政の方針を説明して、支持を訴えていたのだ。

「紅後代」(革命元老の子弟)は全国に4万人ほどいるが、影響力ある「紅後代」は北京に集中しており、約2千人。そのうち85%は「左派」、改革志向の「右派」は15%程度とされるが、習近平は、立場を問わずに重要人物と面談した。

その結果、8割の「紅後代」は支持を表明したが、明確に支持を表明しなかった者(胡耀邦の息子胡徳平(※先日訪日、安倍総理と会談)を含む)若干名、またはっきりと異見を述べた者もいた。習は、賛同する者には「自分と一緒にやってくれ」、そうでない者には「小異を残して大同に就いてくれ」と要請した。

  香港の大陸政治情報の常で、どれほど信憑性があるのかは分からないが、習近平が就任の前後に多数の「紅後代」と面談して支持を訴えていたのは、きっとほんとうだと感じた(それが「2週間失踪」の真相なのかは、それほど重要ではない)。

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  これを読んで「けっきょく習近平は『太子党派』な訳だ」という感想があるかもしれないので、ここで「紅後代」について、私の理解するかぎりを述べておく。
  日本でひとくくりにされてきた「太子党」だが、最近は「紅後代(「紅二代」ともいう。以下では「紅二代」で統一する)と 「官二代」 に分けて論じることが増えてきた。「官二代」とは、革命元老の子弟といった出自ではない親が、国家指導者にまで出世した人の二世、たとえば江沢民や温家宝、周永康の息子といった人々だ。

  2013年11月08日のFT中文網に、革命元老の一人である陳毅(元帥。国務院副総理、外交部長などを務めた)の息子、陳小魯(文革期は紅衛兵リーダー、後に実業界に転じる)のインタビュー記事が載っていた(与FT共进午餐:陈小鲁)。
  この中で、陳小魯は「ほんとうの『紅二代』は、もう少し若い『官二代』とは違う」 「庶民よりは良い暮らしをしているが、多くは慎ましく暮らしている」「自分と同じ北京八中を出た『紅二代』には副部長以上の幹部をしている者も多いが、腐敗した者はごく少ない。この世代は伝統的な教育を受け、立ち位置を弁えているし、自負も規律もある人間が多い」等々と訴えている。どこか親の権勢を笠に着て特権を恣にする輩が多いとされる「官二代」に対する嫌悪感が滲むようなインタビューだった。

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  日本における習近平のイメージは変遷している。就任当初は 「凡庸」「江沢民を後ろ盾にした太子党」といったものが多かったが、昨今は 「強硬」「自信満々」といったトーンが増えている気がする。しかし、私の持つイメージは、どちらとも違う。
  習近平政権が誕生してから、中国では四つの政治的な大変化が起きた。習近平への権力集中、厳しい反腐敗闘争、大胆な「三中全会改革」、そして厳しい言論・思想統制だ。私はすべての変化は一つの原因に起因していると考えている。過去10年間に起きた統治の劣化が経済、政治、社会の全ての面で深刻な問題を生んだ結果、共産党の統治が崖っぷちに追い込まれているということだ。
  共産党の金看板だった経済成長の行き詰まり、指導者層の途方もない腐敗・堕落、貧富格差・環境問題・少数民族との軋轢--「強大化を続ける中国」という対外的なイメージとは裏腹に、国内では「危機四伏の状況だ」 「このままでは中国は持たない」と感じている中国人は、ますます増えている。
  習近平政権は、この強い危機感に彩られた政権だというのが私の見方である。習近平だけでなく、新中国の創始者たちを直系親族に持つ「紅二代」にも、今後の中国の行く末に痛切な危機感を持つ人は多いのではないか。だから習近平は「紅二代」に対して、「この危機を打開したい、自分を支えるコア支持層になってくれ」と要請したのだろう。
  腐敗と闘う習近平の姿勢は、これを好感し支持する民意の追い風を受けているのだが、日本の選挙に喩えれば、「無党派層の支持なんて移ろいやすいものだ、やはり最後は基礎票の勝負だ」というのに似て、習近平は党内に確かなコア支持層がないと心許ないのかもしれない。
  人民解放軍でも、これも典型的な「紅二代」である劉源上将(文革で殺された劉少奇元主席の息子)らが主流派になって習近平を支える構図が生まれていると言われる。他にも名前を知らないが、党・政府の内外で習近平を支えるコア支持者がいるのだろう。
  有力な「紅二代」に属さない人々の中にも習近平を応援する声がある。次の引用文は、四川省成都の老党員たちの声だ。中国では繫がらない海外ネットに載っていた。

我々は中共が現状を保持することを望まないが、中共が倒れることはもっと望まない。我々の願いはただ一つ:中共が改革開放を堅持し、腐敗官僚を厳しく取り締まり、特権資本主義を打倒し、人権を尊重し、言論統制を徐々に開放し、歴史の真相を取り戻し、毛沢東の功と罪、是と非を改めて評価し直すことだ。原文

  いまの思想・言論に対する弾圧の容赦のなさに顔をしかめる中国人は多いが、改革派の中にも、習近平に一縷の光明を見出したい雰囲気がある。見方を変えれば、事態はそれほど深刻ということだ。

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  「紅二代には保守的な左派が多い」という香港明報のくだりを読んで、頭の中で別の記憶が繫がった。就任後間もない習近平が「改革開放後の歴史を以て改革開放前の歴史を否定することはできない。改革開放前の歴史を以て改革開放後の歴史を否定することもできない」(「両個不能否定」)と講話したことだ(2013年1月 中央党校での講話)。
  この講話は、習近平が文革の負の歴史すら肯定する左派の顔を持つことを示す証拠だと受け取られたが、香港明報の記事を読んで、「これは中共伝統の『統一戦線』戦術だったのではないか」と思い当たった。『統一戦線』とは、立場も価値観も異なる諸勢力に対して、「目下の急務はAだ。BやCの問題については各々立場が異なるだろうが、いまはAという喫緊の課題の前に『小異を残して大同に就』いてくれ」と求める思考だ。
  目下の急務は「難局の打開」だ。そのためには当面、左派も右派も関係ない、「中国(中共)を救え」の一点で結集できる勢力は全部味方にする--それが習近平の作戦なのではないか。
  習近平という指導者を彩る特徴の一つは、昨年11月の三中全会で示した「改革」志向と、思想・言論に対する「保守的」な統制という、矛盾した取り合わせだ。しかし、習近平が「統一戦線」戦術を採っているのだとすれば、この「左右の対立」は、当面「小異を残しておく(存小異)」領域になっているということだ。
  「年後半に予定される党の四中全会では、腐敗を制度的に防止するために、司法体制改革に踏み込むらしい」「思想・言論の弾圧を左派・保守派の手に委ねる一方で、まず中央電視台から手を入れて、保守派の牙城、宣伝部門高官の腐敗にも踏み込むらしい」--先の老党員の声にもそういうニュアンスが滲んでいるが、改革派はそうやって、習近平が「根っからの左派・保守派」ではない証拠を探し求めて、中国の先行きへの希望を繋ごうとしている。

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  習近平は「統一戦線」戦術を採用して、何と闘っているのだろうか。「中国(中共)が直面する難局を打開する」ために、最大の障碍になっているのは誰なのだろうか。
  「江沢民を頭とする特権勢力だ」と見る人が少なくない。反腐敗闘争はいよいよ息詰まる局面を迎えており、解放軍における江沢民の腹心だった元軍事委副主席徐才厚や江沢民の大番頭曽慶紅の子分だった令政策を摘発したこと、その後も、元全国政協主席の賈慶林や徐と同じ軍事委副主席だった郭伯雄、など江沢民閥の要人の拘束の噂が絶えないことは、その証左とされる。
  そうかもしれないが、「敵は江沢民」というのは、どうも分かり易すぎる勧善懲悪ドラマのような気がするので、ここで少し穿った仮説を提出してみたい。敵は固有名詞の誰某というより、「要職に就けば特権が与えられ、一族が富み栄えてもいいはずだ」といった、党と政府にはびこる「旧い意識」の総体ではないかと。
  三中全会から既に半年以上経つのに、改革の歩みは緩慢だ。「反腐敗や綱紀粛正の強風の前に党や政府の役人が萎縮してしまっている」からだと言われるが、恐らくそれだけではない。既得権層や高位の役人には、強い指導者習近平に面従しながらも、「特権を手放したくない」「中国の政治慣行・文化がそんなに簡単に変えられるはずはない」といった抵抗感、違和感が根強く残っているだろう。最大限好意的にみても「習近平がどこまでやれるか」、習近平と江沢民の闘いを「風向標」に見立てて「様子見」を決め込んでいる--改革が本格始動しないのはそのせいではないか。
  いわば、江沢民は「旧い意識」を象徴する「アイコン」になっている訳だ。しかし、「敵」 が広い範囲で茫漠と共有される 「意識」 であるとしたら、誰某と特定できる敵との闘いに比べて、決着は容易につかないだろう。
  中国の政治文化がほんとうに変えられるかは別として、習近平はいま本気で闘っているはずだ。反腐敗の矛を中途半端に収めれば、「様子見」組は旧い体制に軍配を挙げ、前政権時代に増長した弊風が息を吹き返してしまう。習近平自身も強い指導者になったのも束の間、急速にレームダックに追い込まれてしまうからだ。
  どうやら中国内政は抜き差しならぬところまで来てしまったようである。習近平はこの闘いに勝てるだろうか、間に合うだろうか。
(平成26年7月23日 記)