韓国の中央日報日本語版を読んでいると、「韓国社会、自然ではない死について黙想しよう」というタイトルのコラムが掲載されていた。そこで好喪(ホサン)と惨喪(チャムサン)という初めて聞く言葉に出会った。中央日報記者の説明によると、前者は長寿を全うした人の葬儀であり、後者は自然ではない理由で死去した人の葬儀を意味するという。そして記者は「好葬よりも惨葬が増える国は、正常ではない」と述べ、「韓国社会が異常な国となっている」と警告している。
当方はローマ法王フランシスコの訪韓直前、「法王の訪韓に期待すること」というタイトルでコラムを書いた。そこで韓国社会が自殺が多いことを紹介した。韓国聯合ニュースによると、「韓国の自殺死亡率が20年間で3倍以上に拡大したことが6日、統計庁の調べで分かった。経済協力開発機構(OECD)によれば、2012年の韓国の自殺死亡率は29.1人でOECD加盟国のうち最も高い」という。中央日報記者が指摘するように、韓国では「自然ではない死に方」をする国民が異常に多いのだ。コラム記者が憂うのは当然だろう。
長生きして寿命を全うできれば幸せだ。それが100歳の大台入りを意味するのか、90歳、80歳台かは人それぞれ違うだろう。当方などは70歳まで生きた親族が少ないから、「70歳台入りできれば、寿命を全うできたといえるだろう」と勝手に考えている。すなわち、70歳は「当方の好喪」となるわけだ。
一方、自殺や事故で突然、亡くなるケースがある。今年4月、300人以上の犠牲者を出した旅客船「セウォル号」沈没事故が起きたばかりだ。犠牲者の遺族の嘆きは聞く者の心をも揺さぶった。また、同事故に責任を感じて自殺した人も出てきた。自然ではない死は本人、関係者ばかりか社会にも悲しみを与える。「もっと生きることができたのに」という思いを完全には払しょくできない。そしてこの自然ではない死を迎える人が増えてきているというのだ。
当方は冷戦時代、ハンガリー人の自殺がなぜ多いのかを取材したことがある。社会学者や宗教者などに聞いた。学者の一人は「ウィーン、ハンガリーのブタペスト、スロバキアのブラチスラバ周辺には昔から自殺者が多い。社会学者は自殺エリアと呼んでいる」と述べていたことを今でも思い出す。特に、ハンガリー人は欧州唯一のアジア系民族(マジャール人)で優秀だが、「困難に直面するとあっけないほどポキッと折れてしまう」というのを聞いたことがあった。
「自然ではない死」の代表的な例は自殺だが、その背景には個人の気質、経済的理由から、地理的、民族的、歴史的な要因までさまざまなものが関わってくるから、自殺の理由は即断できない。
韓国の話に戻る。当方はコラムで「韓国社会は厳しい内外の問題に直面している。韓国に今必要なことは、経済的繁栄以上に国民の間の絆を強くする精神的覚醒だ。韓国は終戦後、日本と同じように経済的復興に邁進してきた。先行する日本を追い付き追い越せ、といった一念で韓国民は頑張ってきた。サムスンや現代自動車など一部の韓国企業は今や世界的企業へと発展してきた。その一方、韓国は現在、一握りの勝利者と大多数の敗北者を生み出す激しい競争社会になっている」と指摘した。中央日報コラム記者が言うように、「自然ではない死」について、国民も政治家も黙想してみなければならないだろう。同記者が提示したテーマは韓国国民にとって「正しい歴史認識」より急務の課題ではないだろうか。
編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年8月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。