他人の努力の成果を掠めとるインデクス運用

森本 紀行

インデクス運用の理論的支柱は、市場の効率性にある。個別証券の価格は、必ずしも、常には、効率的ではあり得ない。割安もあれば、割高もある。しかし、不特定多数の市場参加者が、各自、独立の判断で、多数の証券を売買する結果として、形成される平均価格は、効率的であると考えられている。


平均は、割高でも、割安でもない。適正値である。割安を買うのは、理想だが、割高でも割安でもない適正値を買うのは、理想でないまでも、常に、妥当な行為である。ここに、インデクス運用を正当化する理論的背景がある。

ただし、忘れてはならないことは、インデクスが効率的であるためには、不特定多数の市場参加者が、各自、独立の判断で、売買することが前提だということである。だから、市場の制度設計においては、この基本要件を満たすように、不特定多数性、情報の対称性の確保など、様々な工夫がなされているのである。

しかし、いかに制度上の工夫を凝らそうとも、基本中の基本として、市場参加者が、自己の利害を賭けて、自己の思惑で、自己の責任で、真剣に市場に立ち向かって、個々の銘柄を売買すること、いうなれば、資本主義を支える精神が貫徹しなければ、市場は効率的にはなり得ないのである。

ある銘柄を売ることは、その銘柄への否定的評価の表明である。買うことは、肯定的評価の表明である。そのような個別の市場参加者の個別の評価について、正しいとか、正しくないとか、という価値判断は成立ち得ない。だからこそ、そのような異なる多数の評価の集積値としての市場平均を、効率的(市場理論では、「正しい」というのと同じだ。「市場は正しい」というのが基本的思想だから)とみなすのである。

市場参加者は、自己の評価を個別銘柄にぶつけていく社会的責任を、市場に対して負っている。全員が、この責任を果たしてこそ、市場は効率的になる。日本の株式市場で、「持合い」が問題視されるのも、政策的大株主は、市場に対する責任を果たしていないのではないか、という論点に基づくのである。

インデクス運用の問題は、ここにあるのだ。自分は責任を果たさないで、自分以外の残りの市場参加者が責任を果たした結果を、その結果だけをとろうとすること、その無責任さこそが、インデクス運用の致命的欠陥なのである。

20年近くも前に、大企業の年金基金に、本格的なインデクス運用の仕組みを導入するお手伝いをしたことがあった。そのとき、責任者だった方は、人事関係の経歴の方で、資産運用は「素人」だったのだが、インデクス運用について、「要は、アクティブ運用が機能している限りでのみ、意味があるのだな」といわれた。その慧眼に感服したものである。私は、自分は素人とおっしゃる方の常識から、より多くを学んだ。常識の働かない市場、誰も責任を取らない市場は、いつか、正しい社会的機能を停止する。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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