ダライ・ラマ14世と「輪廻転生」 --- 長谷川 良

アゴラ

チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世は9月7日、ドイツ紙ヴェルト日曜版とのインタビューの中で、「後継者は不要」の意向を明らかにした。それに対し、中国共産党政権は「ダライ・ラマ14世が輪廻転生制度を廃止する資格はない」と批判しているという(「大紀元」日本語版9月12日)。

独紙によると、ダライ・ラマ14世は「自分が最後のダライ・ラマとなる。ダライ・ラマ15世が生まれて、継承されてきた伝統的な制度の名誉を傷つけるようなことになるなら、むしろ今のうちに終わりにすべきだ」と述べたという。ダライ・ラマ14世の今回の発言は中国政権を意識したものだろう。北京当局は既にポスト・ダライ・ラマ14世を視野に入れて、次期ラマ15世を準備しているといわれているからだ。


ダライ・ラマ14世の「輪廻転生の廃止」発言の背景と狙いについてはチベット仏教関係者に譲るべきだろう。ここではダライ・ラマ14世の言及した「輪廻転生思想」について、当方の考えを述べてみたい。

ダライ・ラマ14世は4歳の時、ダライ・ラマ13世の転生として認定され、1940年に即位した。ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のHPによると、「全ての生きとし生けるものは輪廻転生すると考えられている。輪廻転生とは、一時的に肉体は滅びても、魂は滅びることなく永遠に継続することである。我々のような一般人は、今度死んだら次も今と同じように人間に生まれ変わるとは限らない。我々が行ってきた行為の良し悪しによって、六道輪廻(神・人間・非神・地獄・餓鬼・畜生)のいずれかの世界に生まれ変わらなければならないのである。例えば現在、人間に生まれていても、次の生は昆虫・動物・鳥などの形に生まれ変わるかもしれない。しかし、悟りを開いた一部の菩薩は、次も人間に生まれ変わり、全ての生きとし生けるものの為に働き続けると信じられている。ダライ・ラマ法王もその一人である。ダライ・ラマ法王は観音菩薩の化身であり、チベットの人々を救済するために生まれ変わったとチベットの人々は信じている」という。

前世紀に生きていた人間が現在の人間に出てきて、「私は昔……だった」と証言する話は聞くことがある。輪廻転生では、前世紀の人間が現代に生まれてきたと受け取られるが、前世代の人間と現代の人間は別個体であり、本来は同一体ではない。前世代の人間が霊的に復活して現在生きている人間に協助する場合、外的には前世代の人間の生まれ変わりのように受け取られやすい。

ただし、繰り返すが、現代人に憑依した前世代の人間はまったく別の存在だ。自身の血統、性質、気質、環境圏に酷似している人間が存在すれば、その人間に憑依するケースはよくあることだ。すなわち、輪廻転生は実際は霊的復活現象と見るべきだろう。釈尊がいうように、われわれ一人ひとりは、天上天下唯我独尊の存在だ。輪廻転生説はあくまでも人間の使命からみて継承者という意味があるが、個体は別だ。ダライ・ラマ14世はその使命からみれば、ダライ・ラマ13世の後継者だが、両者の個体はまったく別だ。

聖書から例を挙げてみよう。イエスが指摘したように、洗礼ヨハネは旧約時代の預言者エリアの再臨(マタイ福音書第17章)だが、両者は別個の人間だ。預言者エリヤは洗礼ヨハネに共助し、その使命を成就しようとした。イエスの再臨問題では、「肉身再臨」と「霊的再臨」で神学者の意見が分かれている。2000年前のイエスが再び肉体をもって降臨すると信じている信者(肉体再臨)と、十字架にかかったイエスが霊的に再臨するだけだと信じる霊的再臨論がある。イエスの再臨の場合、洗礼ヨハネと同様、イエスの使命を継承した別の人間が肉体をもって降臨すると考えるべきだろう。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年9月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。