慰安婦問題での朝日新聞の誤報事件は、渡辺誠毅(1977年~1984年)、一柳東一郎(1984年~1989年)、中江利忠(1989年~1996年)、松下宗之(1996年~1999年)、箱島信一(1999年~2005年)、秋山耿太郎(2005年~2012年)の6代に亘る社長が、実に40年近い長い間ずっと口を拭ってきた問題である。
そして今回、福島原発での吉田所長の証言を朝日新聞が歪曲していた事がはっきりして、木村伊量社長(2012年~現在)が誤報の訂正と謝罪に踏み切ることとなったが、これだけ時間のかかる事を見ても朝日の派閥争いと官僚化した無責任体制は度を超している。
それでも、これまで知らぬ存ぜぬを貫き、誤報と言うより意図的な捏造の共犯者と疑われても致し方ない歴代先輩社長の不埒な言動に比べれば、木村社長はましである。
この一連の騒ぎは、マスコミの対処の仕方によっては、「朝日新聞の凋落」の始まりと言うより「紙媒体」の凋落に拍車をかけ、自分で自分の首を絞める恐れも充分ある。
それでも、物事の本質を突く報道より一過性の事件として騒ぐ方が、質の低い日本の読者受けして儲かると考えるマスコミは、全てを朝日と朝日の現社長の責任に押し付ける傾向が強い。
この事からも、自分の現役時代だけ持てば良いという打算が見え隠れした下品加減が良く分かる。
今は袋叩きにあっている朝日も、「法政大学に入ったなら新聞は『朝日』雑誌は『世界』を読みなさい……」と、大内兵衛東大名誉教授が法政大学総長時代の入学式で訓示した事があると思うと、隔世の観がある。
そんな「赤化教授」がいたから「韓国や中国に甘く見られる日本になったのだ。」と言う批判が聞こえて来そうだが、「偉大である事の対価は責任であり、世論などと言う物は存在せず、あるのは発表された意見だけである」と言った、当時の世界の保守政治家の代表であるチャーチルの残した言葉に近い主旨の「我らの願い」と言う言葉も学生に残したのも大内総長で、何事も左右のレッテルを貼って結論つける今の風潮は好ましくない。
誤報は何処の国でもあるが、全国で2万人を超える新聞記者を抱えながら、政府や同業社との「談合体質」が骨の髄まで染み込み、取材能力が極端に劣る日本のメディアは、出世のためには権力との癒着や拙速を無視した誤報や捏造記事も厭わないスクープ重視に走る傾向が強いのが日本の問題である。
このように、誤報、捏造体質は日本のマスコミに共通した体質だが、朝日が突出しているのは誤報や捏造を認め、訂正し陳謝するまでの時間の長さにある。
今の朝日に必要なのは、米国の産業を世界のトップに押し上げたヘンリー・フォードが言った「Don’t find fault, find a remedy.(誤りを見つけるより、解決策を考えよ)」と言う教訓であり、その為には、IT革命の担い手ステイーブ・ジョブの「Be a yardstick of quality. Some people aren’t used to an environment where excellence is expected.(一部の人々《朝日の場合は殆どの人々》は、優秀である事が当然だという環境に慣れていない以上、自らが質の高さを示すものさしにならなければいけない)」と述べた教訓である。
朝日は、社内の腐った環境で出世街道を歩いて来た「隠蔽体質・派閥争い」の勝者の集まりのエリート集団と言う病巣を切除し、トップ自らが質の高さの尺度となり、優秀である事が当然だという社内環境を作る事が改革に求められているのである。
この抜本的な社風の改革には、第三者であろうが第五者であろうが、企業の苦境の救済策の発見には何の知識も経験もない司法の大物をトップに据えた検証委員会なるものは、「ちゃんとやっていますよ」と言う対外ジェスチャーに過ぎず、必要な改革には糞の役にも立たない。
従い、朝日の苦境を救う最善の具体策は、検証委員会の結果を待たずに「現在の取締役は勿論、執行役員クラスからは新しいトップは出さない」と公開宣言する事である。
そして、早期にこの決定を発表する事が、読者への贖罪であり、守旧派の反対運動の芽を摘み、朝日を変え、社員の高い潜在能力を引き出して未来に貢献する策である。
噂によると、健康上の理由もあり、木村社長は自ら長期政権は無理だと知っていると言う。この無欲な環境こそが、ここに示した朝日の解体的出直しが出来る絶好のチャンスである。
朝日にはそれだけ若手だ育っていないと言う懸念もあるかと思うが、それは年功序列のお陰でトップに浮き上がった年寄りのうぬぼれと言う物だ。
若手トップの多い外国の例は日本には当てはまらないと言う愚痴も聞く。しかし、日本にもそれを否定する具体例は多くあった。
想像を絶する障害を乗り越え、奇跡的復興を果した戦後日本経済の陰には、突如追放されたベテラン経営者に替わり登用された30代の若手トップが打ち出した数多くの施策があった事を忘れてはならない。
革新に革新を続ける今の米国の大企業トップの平均年齢は、突如若返った当時の日本の経営者の平均年齢より若い。
失敗を恐れぬ若き経営者の代表に、ビクター・カイヤムと言う起業家の成功者がいたが、失敗の怖さについて問われた彼は「顔から転んでも、前向きには変らない」と答えたというエピソードがある。
このような変化を恐れぬ環境と競争の激しい社会で育った欧米のジャーナリズトには専門家が多く、地位を求めて働く日本のサラリーマン記者には望むべくも無い中身の濃い記事が多い。
紙媒体の苦戦が続く現在、新聞の将来は新聞の発行部数や権力との癒着の濃さではなく、記者の取材能力と筆力にかかっている。
誠に皮肉な事だが、今回の朝日の誤報訂正に活躍した池上彰、池田信夫、門田隆将、石井孝明各氏や産経の黒田、古森両記者などは、上昇志向の強い組織を嫌い、自らの人生を追って潜在能力を開花させたと言う共通点を持っている。
換言すると、本人が自覚しているか否かは別にしてアメリカ的人生観、いや自然で人間的な人生観の持ち主だと言えるであろう。
それに比べ、出世を求めて大組織に残る人には、「大器、大器と言われながら晩成しない人」が多い。
「朝日」と「左翼リベラル」叩きの行き過ぎ、「戦前回帰」と思える発言の乱発は、あらぬ方向に影響を与えている。
その典型が、2009年と20012年の選挙結果を比較すれば明らかなように、自民党は得票数を減らしているにも拘らず、安倍首相の戦前回帰に憧れていると誤解される発言や極右と見做されるお友達発言が連発された結果、欧米では日本の右翼化への警戒心は強まるばかりで、その結果として、日本の保守派(右翼)が望むような形での国際紛争の解決を難しくしているのは皮肉である。
この辺で、一極集中の攻撃はいい加減にして、本質に拘る問題を冷静に論議できる環境を作らないと、日本のブランド価値は落ちるばかりで、その挽回に日本人は無駄な努力を強いられる事になる。
日本も、左右のレッテル貼りと一極集中非難から早く卒業して欲しいものである。
注:法政大学出身の友人に確認した大内兵衛法政大学総長が学生に与えた「我らの願い」とは:
一、願わくは、我が国の独立を負担するに足る独立自由な人格を作りたい。
一、願わくは、学問を通じて世界のヒューマニズムの昂揚に役立つ精神を振作したい。
一、願わくは、空理を語らず日本人の生活向上発展の為に、たとえ一石一本でも必ず加えるような有用な人物を作りたい。
と言うもので、現実的な今の日本には人気が出ないにしても、左右の思想とは関係のない、どの国でも得心出来る若者やジャーナリストの抱くべき指針を示した言葉である。
2014年9月19日
北村 隆司