対北朝鮮交渉の中身を知る方法 --- 長岡 享

アゴラ

先般、石井一・民主党衆議院議員(以下、敬称略)が「拉致された横田めぐみさんは、すでに死亡している」との発言をなした。邦人拉致という国家の存在意義にかかわる問題であるだけに、その発言は大きな不満と不安を呼び起こした。いまだに解決しない拉致被害者の返還交渉がどのようになされているのか、その実態は厚いベールにつつまれている。

そんななか、アゴラの池田信夫記事が従軍慰安婦問題と「一兆円利権」との関連を指摘したなかで、「金丸訪朝」(1990年9月)がキーワードとして浮かび上がった(注1)。奇しくも、石井は「金丸訪朝」の全過程に深く関与している。「金丸訪朝」について見直すことは、対北朝鮮交渉の実態を知るすべがない国民にとって、日本政府が北朝鮮といかなる交渉を続けているのかを推知するうえで、なにがしかの示唆を与えることになるだろう。


1. 日本政府は、北朝鮮と何を交渉しているのか

「金丸訪朝」とは、十数回にわたり北朝鮮へ議員団を派遣して関係を深めていた日本社会党(当時)の”仲介”(注2)によって、政権与党であった自民党ならびに政府と北朝鮮との交流が本格的に開始される契機となった案件をいう。

当時、第十八富士山丸の船員二名が北朝鮮によって不当に拘束されていたことから、訪朝は二人の返還交渉が一応の目的にはなっていた。しかしながら、返還交渉が表向きの理由であったことは、たとえば石井による以下の見解であきらかである。

北朝鮮の喜ぶようなはかばかしい返事はなかなかできそうにもないが、そんなことをいっていたのでは交渉は前には進まない。ここは腹を決めて『石井のフライング』といわれようと、政治家の見識と決断で受け入れられそうな事項にはこの場で合意の結論を出してしまおう」(注3、太字は引用者)

不当に拘束された邦人救出のみであれば、「北朝鮮の喜ぶようなはかばかしい返事」を考慮する必要はない。ここには、無条件で邦人を奪還するという、毅然とした対応も不屈の意志も感じられない。それもそのはずで、交渉当事者には、邦人の無条件奪還すらを脇におくような心理的バイアスが働いているからだ。

その実態は「交渉」と呼べるものではなく、どうすれば北朝鮮に「償い」と「謝罪」と「賠償金」(経済的見返り)を受け取ってもらえるかに腐心する”土下座外交”のそれであった。この状況は、今日においても引き継がれているのではないか。

2. 北朝鮮との交渉の特徴

金丸訪朝団の先遣団は、以下の方針を示したという。

(一)償いはほかの国と同程度の規模で、北朝鮮だけの特別待遇はあり得ない。(二)その交渉は政党間で行なう性格のものではなく、外交慣例にのっとり政府間交渉に委ねたい。(三)国交正常化以前に何らかの支払いをすることは外交慣例上前例のないことであり、非常に困難である。(四)今後経済協力をするにしても国交正常化を前提としないことが大きな障害となっている。(注4、太字は引用者)

一方、

「北朝鮮から提示された問題は三つありました。一つは賠償金の一部としての前渡し金、二つ目は総理としての謝罪、三つめは戦後四十五年間の償い、の問題でした」(注5)。

ここでは、北朝鮮側が主張してきた三条件をいかにクリアするかに意が注がれ、邦人奪還はすっかり脇においやられている。また、事前交渉において、

「「償い」については、第二次世界大戦の敗れた日本は多くの国との戦後処理をしてきた実績があります。しかしながら共和国との間だけが唯一未処理のまま残っていることは本当に遺憾であり」(注4)

と発言している。

以上のような「戦後の償い、謝罪、賠償金」という対日交渉”三種の神器”によって、対北朝鮮交渉の方向性があらかじめ予定調和的に規定されている。しかも二人の邦人を人質にとられ、かつ拉致被害者家族から実態調査を依頼されていたさなかにもかかわらず、その願いが一顧だにされることもなかった。

これが、拉致被害者の返還と、日本の経済協力が一体不可分となる「交渉」の始まりであった。

3. 北朝鮮の無料ATMと化した日本

日本側交渉者の考え方を意訳するとこうなる。「国交正常化を前提にさえしていただければ、日本側としては償いと謝罪の意味を含む何らかの支払をすることができる。邦人の返還についても善処していただければありがたい」。これは、北朝鮮にとっては、国交正常化を前提とすれば日本からいくらでも経済的見返りを得ることができるということになる。しかも、実際にはその気がまったくなくてもよく、しかも相手側から「ぜひ受け取ってほしい」という謝罪や贖罪がついてくるのだ。

これに対して北朝鮮側が「日朝国交正常化を議題に乗せる用意がある」と提示してくるのは自明の話で、案の定、北朝鮮から国交正常化の話が切り出されることになる。一方の日本側といえば、特に外務省筋はこの提案に狂喜乱舞した。日朝の交渉が既定路線となり、「日朝国交正常化」の大義名分のもとに日本が北朝鮮の無料ATMと化した瞬間である。古来より、このような関係を「朝貢」という。

近年は「国交正常化」が「核開発の停止」や「査察の受け入れ」、揚句に果てには「六か国協議への参加」などに入れ替えられていく。

だが、上記を考えれば、北朝鮮が金づるを手放すはずはなく、問題が解決するはずもないのは当然の話だ。実際、金正日が拉致を認めたにもかかわらず、拉致問題はいっこうに解決していないではないか。

いうまでもなく、北朝鮮への償いや賠償金とは、韓国を朝鮮半島における唯一の合法政府であるとする「日韓基本条約」(1965年)の立場とは根本的に相容れない。また、韓国に対しての経済支援をもって朝鮮半島への賠償問題が解決しているとの立場を逸脱させる。北朝鮮に対して「償い」をなすとの見解は不法であるばかりか、日韓基本条約による「完全かつ最終的な解決」という文言をも反故にしかねない危険性を持っている。実際、日本政府は「従軍慰安婦問題」においても「償い」事業というつかみ金や謝罪─「女性基金」の創設などの個人賠償や数々の「おわび」など─を”人道的な配慮”なる不可解な名目で与え続けてきた。

これは日本政府による秩序破壊の蛮行であり、国際慣例の破壊である。その濫觴こそ「金丸訪朝団」をめぐる交渉であった。

そもそも、日本は朝鮮半島国家に謝罪したり、償ったりする必要性は何一つない。なぜならば、韓国併合は国際法上で合法な国家間条約であり、他の欧米諸国との比較においてもその統治は善政そのものであった。朝鮮統治の収支は日本のマイナス、つまり日本こそが朝鮮に搾取されていたのであって、植民地だったのはむしろ日本の方だったと考えるほうが実態に即している。また、当時の朝鮮人は「日本国民」であり、日本人に課せられた義務から朝鮮人を除外することで日本人こそ「差別」されていたのだ。その上で戦後、さらに朝鮮半島に日本国民の血税を投入するという。正気の沙汰ではない。

朝鮮半島国家への謝罪や償いは当初から不要であったし、今後にわたって一切無用である。

さいごに

北朝鮮とは、朝鮮半島に送り込まれたパルチザンの領袖(金日成)が、中国共産党のバックアップを受けて朝鮮国家を侵略して成立したテロ団体である。「国」とは名乗っているものの、その実態は「イスラム国(IS)」とかわらないとの認識がもっとも正しいといえる。よって日本がなすべきなのは、彼らとの一切の交渉を断絶し、国際法上も正当に認められた自衛権の行使による邦人奪還以外にはない。

「日本人拉致拘束→拉致被害者の返還を名目的とする対日交渉のセッティング→経済的見返り」という図式は、日本国民を拉致すれば、日本から交渉を引き出せるばかりか、相応の金品すら要求できるという思考回路を相手に与えることになる。これは、在外邦人はおろか、国内の日本人の生命をも危うくすることは、北朝鮮の拉致が国内でおこなわれ、しかも国内の工作員の手引きによって行われてきたことによってあきらかである。国家の繁栄と永続とは、国を守る正当な武力と外交力が一体となった時にしか担保されない。国家の存在意義にかかわる拉致被害者の無条件奪還がなされるかいなかが、日本の未来を決定する試金石となっている。


1. 池田信夫「朝日新聞と北朝鮮の「1兆円利権」」(2014年09月09日16:49)ほか。
2. 「安倍〔晋太郎〕幹事長のところに社会党から、自民党としても北朝鮮との窓口役を誰か決めて、この問題に政権与党としても関心をもって取り組んでほしい旨の要請があったようです。幹事長から相談があり、それでは私〔石井一〕がその役を務めましょう、ということになり」「九〇年に入り〔石井一が〕閣僚の椅子を離れてから、今度は小沢一郎幹事長より、引き続き朝鮮問題の窓口役を務めてもらいたいという話があり(中略)再び社会党との接触が開始された」(石井一『近づいてきた遠い国──金丸訪朝団の証言』日本生産性本部、1991年、pp.12-13、〔〕内は引用者)とある。
3. 上掲書、p.33。
4. 上掲書、p.35。
5. 上掲書、p.152。

2014年9月16日
長岡 享