「善と悪」の戦いが再び始まった --- 長谷川 良

アゴラ

シリアとイラク北部を侵攻するイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)が登場して以来、世界の政情は善し悪しは別にして2極化してきた。善と悪の2極化だ。ISのシリア拠点への空爆を実施したオバマ米大統領は「世界はISを許すべきではない」と主張し、ISを「世界の敵、悪」と定義し、国際社会に連帯を呼び掛けている。

ケリー米国務長官は9月23日、ニューヨークで開かれた北朝鮮の人権問題を話し合う閣僚級会合で、北朝鮮の労働収容所を「悪のシステムだ」と糾弾し、即時閉鎖を要求している(時事通信9月24日)。ここでは「悪のシステム」だ。米ホワイトハウスの関係者がここにきて「善・悪」という概念を頻繁に使用し出したのだ。


「善と悪」は本来、倫理的、宗教的な概念として使用されることが多い。それでは世界の政治が突然、宗教的、倫理的になったのだろうか。それとも世界の指導者が意図的に宗教、倫理概念を利用し、テロ組織打倒という名目を掲げてきただけに過ぎないのだろうか。

米国の政治では善悪という宗教倫理概念が政治の表舞台に登場するのは決して珍しくはない。冷戦時代、ロナルド・レーガン元米大統領(1981~89年)が旧ソ連を「悪の帝国」と呼び、共産主義世界を悪の世界と断言したレーガン・ドクトリンを思い出す。そのレーガン元大統領は米国民が今も最も愛する大統領だ。また、G・W・ブッシュ元大統領(2001~09年)は米国内同時多発テロ事件後の02年1月の一般教書演説の中で、北朝鮮、イラン、イラクの3国を「悪の枢軸」と呼び、反テロ政策を掲げたことはまだ記憶に新しい。そして今、外交センスと決断力に乏しい大統領と酷評されてきたオバマ大統領が起死回生の手段として、対ISへ善の戦争に乗り出そうとしている
のだ。

ISはその蛮行で世界から恐れられている。イラク北部のモスル市を襲撃した時、イラク正規軍の兵隊がISの兵士を恐れ軍服を脱ぎ、私服に変えて逃げて行ったという話はISがアラブ諸国でも如何に恐れられているかを端的に物語っている。

そのISを敵視するのは欧米諸国だけではない。世界のイスラム教はISに対し、「イスラム教とはまったく関係ない」と批判、スンニ派の拠点サウジでもISを批判する宗教法令を出したばかりだ。すなわち、ISはその蛮行、残虐性によって世界を敵に回している。そこでオバマ大統領がISを世界の悪と位置づけて国際社会に結束を呼びかけているわけだ。

冷戦時代の終焉後、善・悪といった宗教・倫理用語が世界の政治の舞台から消えていったが、ISの登場で再び蘇ってきたのだ。もちろん、ISはイスラム教を信じない不信仰者への戦いをジハードと位置づけ、その戦いを正当化している。

世界の政治を善・悪の2極に分けて論じることに対し、そのシンプルさ故に批判の声もあるが、ISの蛮行や北朝鮮の人権蹂躙に対し、誰ももはや看過できないことは事実だろう。世界は期せずして‘正義の戦い‘の時を再び迎えているのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年9月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。