教会は「家庭」を再発見できるか --- 長谷川 良

アゴラ

ローマ・カトリック教会のローマ法王、フランシスコは10月5日、特別シノドス(世界司教会議)を開幕した。19日まで続くシノドスでは「福音宣教からみた家庭司牧の挑戦」という標語で世界の司教会議議長、高位聖職者、専門家、学者らが参加し、離婚、再婚、堕胎、純潔、同性婚などの家庭問題について話し合う。

バチカン放送独語電子版によると、「教会の教えは変えず、新しい視点から教えを実践すべきだ」(オーストリアのカトリック教会司教会議議長のシェーンボルン枢機卿)という声から、「教会の教えは変わらないが、発展する」(独司教会議議長のマルクス枢機卿)として、信者たちの現実の家庭問題の解決のため教会はもっと積極的に対応すべきだという意見が聞かれた。


もう少し分かりやすく説明すれば、2000年間続いてきた教会の教義(ドグマ)は少しも修正せず、時代の要請と信者たちの願いに呼応するため、その実践の場で柔軟に対応していく、という見解が司教会議議長たちの間では支配的だ。ただし、教義を変更せず、どのように「新しい視点」から家庭問題に具体的に対応するのか。どのように教えを発展させ、家庭を再発見するのか、などについて曖昧模糊とした内容が多い。ちなみに、婚姻無効宣言の教会側の手続きの簡易化を要求する参加者もいる。

教会の教えははっきりしている。神の下で婚姻した夫婦は離婚できない。だから、再婚は問題外。ホモやレスの同性婚は教会の教えに反するから、教会の祝福は得られない。避妊道具の使用は禁止され、婚姻前の性関係は許されない、といった内容だ。

これらの教会の教えを徹底していくと、聖体拝領を受けることができる信者は少なくなる。教会から離れていく信者も増え続ける。そこで、教会の教えを変えず、現場で信者たちの願いを最大限に満足させていくべきだというのだ。矛盾を含んだ願いだから、現場を担当する司教たちはその対応に苦慮するわけだ。

教義を変えず、実践で信者の願いを最大限容認するというのが191人の司教会議議長らの見解だとすれば、実際は何も変わらず、旧態依然ということになる。

ただし、各国の司教会議議長らが家族問題で忌憚なく話し合うという点は新しい。なぜならば、離婚・再婚者への聖体拝領問題について、高位聖職者が自身の見解を表明することなどこれまでなかったことだからだ。同性婚問題は久しくタブー視されてきたテーマだ。それらの厄介な問題について、世界の高位聖職者が今回結集して話し合うことは、やはり画期的な出来事だ。

期待が大き過ぎると失望も大きい。同じことがシノドスに対してもいえるだろう。シノドスへの期待を下げるならば、特別シノドス開催の意義は出てくるが、シナドスに教会の刷新といった過大な期待を持つならば、失望は不可避だろう。

ところで、司教会議議長はいずれもこれまで独身を貫いてきた高位聖職者だ。換言すれば、家庭をもったことがない。夫婦問題についても経験がない。それに対し、教会側は「われわれの家庭は教会だ」と主張し、家庭問題を牧会できると強調する。しかし、聖職者が抱く家庭観は少々観念的で現実的ではない。その聖職者が信者たちの現実の家庭問題について牧会できるだろうか。司教会議議長たちは先ず、家庭問題を協議する前に、聖職者の独身制問題を真剣に再検討すべきではないか。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年10月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。