投資と投機の違い

森本 紀行

投資は投機ではない。投資を投機から分かつものは、判断の合理性と保守主義である。しかし、投資は簡単に投機に堕す。合理的であり、保守的であることは、情動的であることより、よほど難しいからである。


投資は、理論的な投資価値分析にこだわり続ける限り、合理的な価値判断の枠のなかに厳格にとどまる限り、損失に帰することは稀である。もちろん、投資対象に市場価格があれば、一時的な評価損の発生することは避け得ないが、それは本質的な損失ではない。

価値の毀損としての本当の損失は、多くの場合、合理的な投資判断に起因するのではなくて、何らかの投機的要素の混入に起因するのである。

合理的投資判断とは、保守的な仮定に基づいて価値を算定することである。これが投資の基本だ。価格の予想は、投機的な要素を伴う。もともと、投資の世界では、予想するな、というのが重要な規律であった。投資とは、価値の判断であって、決して価格の予想ではない。価格の予想は投機だ。

不動産を例にすれば、保守主義とは、収益物件の価値算定において、底地や賃料の上昇を見込まないことである。見込めば、いくらでも価値を高くつけることができるからである。不動産投資が、バブル的現象と、その崩壊によって、損失になることがあるのは、保守主義を貫徹できないことが原因である。

価格の変動に過ぎないことは、投資判断の基礎になり得ない。価値の変動は語り得ても、価格の変動は語り得ない。価格の変動は、取引の条件であり、受け入れざるを得ないものなのである。投資判断における管理の対象にはなり得ない。価値の保持、価値の毀損の回避、これは、投資判断であり、投資の管理の対象である。

価格の下落の裏に、価値の低下があるのかどうか、という価値判断は、重要な投資判断である。価格の下落の裏に、価値の低下ないならば、まさに、投資の機会なのである。投資とは、価値の判断のみを行い、価格を条件として行動することである。

価値変動をみず、価格変動のみをみて行動することは、投機である。投機は賭けであるから、勝率は五割である。そこに心理的行動の愚が介入するので、実際には、五割にすら達しないものである。

しかるに、投資は科学である。故に、投資対象の価値分析に内包された収益率は、価値分析に内包された時間軸のなかで、実現していくのである。大切なことは、途中の価格変動という雑音に惑わされてはいけないということだ。

森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
HC公式ウェブサイト:fromHC
twitter:nmorimoto_HC
facebook:森本紀行