朝鮮半島の為政者と「奸臣たち」 --- 長谷川 良

アゴラ

北朝鮮ウオッチャーの五味洋治氏の著書「父・金正日と私 金正男独占告白」(文藝春秋社)の中で、金正男氏は「自分の生き残りのために精一杯のお世辞で生きていく奸臣ら、自分らの安楽だけを追求して、国事について嘘をついて、住民たちと指導者の間の障壁を形成する者らは、父親と後継者の周囲から消えてほしいです。彼らは北朝鮮の発展と後継者の将来に絶対役に立たないと考えます」と語っている。


正男氏がいう「奸臣」という言葉は日本の社会ではあまり頻繁には出てこない。辞書によると、「邪悪な心を持った家来」「よこしまな家来」「腹黒い家臣」といった意味がある。中国奸臣列伝によると、奸臣とは「君主の権力を握り、私腹を肥す臣下」という。いずれにしても、正男氏が忌み嫌うように、「奸臣」とは指導者にとっては、命取りとなる危険な存在なわけだ。

独裁者・金正日総書記の周囲には多数の側近が近づき、離れていった。首領様によこしまな思いを持った側近は即粛清されていった。独裁者にとって反体制派や批判者の摘発は容易だが、難しいのは一見、忠臣のようだが、その裏では邪悪な心を持った奸臣を見つけ出すことだろう。

長男・正男氏は奸臣が父・金総書記の周辺に屯し、「国事について嘘を言っている」のを何度も目撃してきたのだろう。換言すれば、金総書記は生前、側近から正しい情報を得ることが出来なかったのかもしれない。

独裁者は惨めな最期を迎えるケースが多いが、その指導力不足というより、奸臣に騙されたり、裏切られたりすることが少なくなかった。その意味で、正男氏の懸念は非常に現実的だったわけだ。

ところで、「奸臣」は北朝鮮だけの話ではない。南北分断される前の朝鮮半島の歴史では「奸臣」の話は事欠かない。韓国のミン・ギュドン監督は先日、朝鮮燕山君(ヨンサングン)時代を舞台に、王の前では忠臣であるかのように振る舞うが、実際は悪い心を持つ“奸臣”と王の物語を描いた映画「奸臣」をクランクインしたばかりだ。

韓国の朴槿恵大統領の動向を見ていると、大統領府にも国を思う忠臣より、自身の栄誉、昇進、保身を優先する側近、奸臣が少なからず潜んでいるように感じさせられる。朴大統領の訪米中、その大統領府報道官がセクハラを犯すという前代未聞の事件が発生したことがあったが、朴大統領は側近の選択に苦労しているはずだ(父親・朴正煕大統領の暗殺事件を想起すべし)。

また、産経新聞前支局長の起訴事件を見ていると、朴大統領は事の真相、深刻さを正しく認識していない、といった印象を受けてしまう。換言すれば、大統領に正しい情報が届いていない、といった疑いだ。ソウル中央地検が「朴大統領の男性との逢引」報道に大げさに対応した結果、朴大統領の逢引報道は全世界に知れ渡ってしまった。大統領自身にとっても不名誉な結果だ。大統領にゴマをする者ではなく、事件が発生した場合、冷静な分析を報告する側近が不可欠だが、朴大統領の周辺にはそのような人物はいないのだろうか。

カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの著書「共産党宣言」の前文に、「ヨーロッパに幽霊が徘徊している。それは共産主義という幽霊だ」と書いている。それに倣っていうならば、「朝鮮半島には幽霊が徘徊している。それは奸臣という幽霊だ」といえるだろう。朝鮮半島の政情が不安定に陥りやすい背景には、指導者の資質、品格、能力もあるが、それ以上に保身に身を焼く奸臣たちの存在がある。父親・金正日総書記を心配していた金正男氏の憂慮は、朝鮮半島の歴史を知る者には決して新しいテーマではないのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年10月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。