成熟産業としての経済学 - 『ミクロ経済学の力』

池田 信夫
ミクロ経済学の力
神取 道宏
日本評論社
★★★★☆



本書は学部レベルの教科書だが、よくも悪くもミクロ経済学は成熟したという印象を受ける。第Ⅰ部「価格理論」は私の学生のころとほとんど同じだが、第Ⅱ部「ゲーム理論と情報の経済学」は80年代以降に発展した分野である。大学院の教科書では半分以上が後者だが、本書では伝統的な経済学が7割、残りがゲーム理論などに当てられている。

著者は日本のゲーム理論の第一人者だが、「市場の理論を減らしてゲーム理論を教えるのは、ニュートン力学をはしょって素粒子論を教えるようなものだ」という。学会誌にはゲーム理論の細かい話がたくさん出ているが、新しい発見はほとんどない。今年、スウェーデン銀行賞を受賞したTiroleの書いた1988年の教科書は、いまだにこの分野のスタンダードである。

私のころも宇沢先生が「経済学はもう終わった」といって、大学院に進学しようとする学生の士気をくじいていたが、その後ゲーム理論や合理的予想が出てきて、経済学業界はけっこうにぎわった。90年代にそれが終わると、行動経済学が出てきたが、収穫逓減ははっきりしてきた。特にミクロは(ゲーム理論を含めて)、もうやることがない。

今の経済学の最大の問題は、ピケティも指摘するように、その学問的なフロンティアが現実の政策課題とまったく無関係になっていることだ。彼はMITでimplementationの論文を書いていたが、あほらしくなってやめたという。経済学は厳密な科学ではなく、思想としての深さもないので、もう理論はやめて、ケインズのいうように実証的な「パンフレット」に徹したほうがいい。

本書も教科書としてはすぐれているが、最後に「社会思想(イデオロギー)」を論じている部分はいただけない。経済を「共同体の論理と市場の論理」で語り、社会正義を比較静学と補償原理で語るのは、学生向けの説明としてもナイーブすぎる。これからは経済学も、ピケティのように歴史を取り入れるべきだと思う。今は経済史はマル経難民のたまり場になっているが、数量経済史を使えばまだフロンティアがある。