何のために学ぶのか

本山 勝寛

ちくまプリマー新書が「中学生からの大学講義」という新書シリーズで、各界で著名な大学教授が中学生に対して「学び」について語るという企画を行っている。シリーズ第1巻は『何のために「学ぶ」のか』。中学生が本当にこういった本を読むのかどうかは別として、テーマ設定としては大変よい企画だ。



執筆しているのは以下5名の学びの達人。

・外山滋比古(1923年生まれ。東京文理科大学英文学科卒業。『英語青年』編集を経て、東京教育大学、お茶の水女子大学で教鞭を執る。お茶の水大学名誉教授。専攻の英文学のほか、エディターシップ、思考、日本語論、教育論などの分野で独創的な仕事を続けている)

・前田英樹(1951年大阪生まれ。中央大学大学院文学研究科修了。現在、立教大学現代心理学部教授)

・今福龍太(1955年、東京都生まれ。東京大学法学部卒業。82年より、メキシコ・キューバ・ブラジルにて人類学的調査に従事。札幌大学教授、サンパウロ大学日本文化研究所客員教授等を務め、現在は東京外国語大学大学院教授、奄美自由大学主宰)

・茂木健一郎(1962年生まれ。ソニーコンピュータサイエンス研究所シニアリサーチャー。東京工業大学大学院連携教授。東京大学理学部、法学部卒業後、同大学院理学系研究科物理学専攻課程修了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を経て現職。「クオリア」をキーワードとして、心と脳の関係を探究している)

・本川達雄(1948年宮城県仙台市生まれ。東京大学理学部生物学科(動物学)卒業後、東京大学助手、琉球大学助教授などを経て、1991年東京工業大学教授、2014年より同学名誉教授。専門は生物学。棘皮動物(ナマコ、ウニ、ヒトデ、ウミユリ)の硬さの変わる結合組織の研究や、サイズの生物学を研究)

外山滋比古氏はベストセラー『思考の整理学』が、東大・京大生協書籍部で長らくランク1位になっていることでも有名だ。『何のために「学ぶ」のか』のなかで、こんなくだりがある。

実は、すべての人間は天才的な能力を持って生まれてくるのである。ほとんどすべての子どもが例外なく、素晴らしい記憶力、素晴らしい感覚力を持っている。ところが残念なことに、その赤ん坊を育てる周りの大人たちが「人間を育てる」ことをまるで知らない。だいたいは子どもが持って生まれた天才的能力を活かしきれずに枯らせてしまう。(中略)
すべての人が赤ん坊の時は素晴らしい力を持っている。その能力がうまく育っていなかったとしたら、それはまわりの責任。人類は教育というものに関して、いろいろな努力をしてきたけれど、いまだに正しい方法が見つからない。それどころかとんでもない間違いをしているようにさえ見える。

まったく同感で、3人の小さい子どもをもつ親として、新生児・幼児の学びのパワーを日々感じている。彼らはまさに「学びの天才」だ。そして、それと同時に、型にはめられた私たちが良かれと思っている「教育」が、ときに学びの天才を殺してしまっているのではないかとも感じることがある。外山氏が警鐘を鳴らすように、「我々は教育に関して未だ正しい方法を見つけられていない」という前提に立つことがまずは必要であるように思う。

そして、前田秀樹氏は『独学の精神』の著者でもある。前田氏が例に挙げているのは、銅像で有名な二宮金次郎。そして二宮を『代表的日本人』の5人のうちの1人に挙げて紹介した内村鑑三。私もこの二人が大好きで、『代表的日本人』は座右の書の一つでもある。二宮は薪を運びながら四書五経の一つ『大学』を読んでいたわけだが、まさに独学の権化のような人だ。前田氏いわく、二宮は「独学する心」を持っていたのだと。そして、「独学する心」について以下のように語る。

生涯愛読して悔いのない本を持ち、生涯尊敬して悔いのない古人を心に持つ。これほど強いことはないのではないかと、私などは思っている。こういうものは独学によってでなければ得られない。これを持つことのできない人は、どんなにたくさんのことを知っていたってつまらない。独学の覚悟がない人は、つまらない。皆さんがこれから社会に出て、どのような仕事に就くのかはわからないが、そこで必要なこともやっぱり独学する心ではないか。そういう心を持った人は、どこにいても、何をしても強い。(中略)
身ひとつで独学する心は、おのずと「天」に通じている。「天」が助けてくれなければ、独学は実を結ばない。(中略)対象への愛情がないところに学問というものは育たないと私は思う。対象を愛する気持ちは、結局は「天を敬する」気持ちから来る。

先日、「独学の時代がやってきた」という毎日新聞の特集インタビューに関連付けた記事を書いて、大きな反響があったが、「独学の時代」にこそ、この「独学する心」が大切であるように思う。これはトーマス・フリードマンが『フラット化する世界』で語る「CQ=好奇心」とも通じるところがある。日本では「天職」、西洋では「Calling」という言葉があり、マックス・ウェバーは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で、この概念に注目したわけがだ、「独学する心」、「好奇心」、「何のために学ぶのか」という問いは、まさに「天との対話」のなかから生まれるのだ思う。

「何のために学ぶのか。」

ひょっとしたら答えの出ない永遠の問いであるのかもしれない。しかし、それを問い続けることこそが、学びの世界を、高く、広く、深く、おもしろくする「学力」の源泉であるのかもしれない。

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学びのエバンジェリスト
本山勝寛
http://d.hatena.ne.jp/theternal/
「学びの革命」をテーマに著作多数。国内外で社会変革を手掛けるアジア最大級のNGO日本財団で国際協力に従事、世界中を駆け回っている。ハーバード大学院国際教育政策専攻修士過程修了、東京大学工学部システム創成学科卒。1男2女のイクメン父として、独自の子育て論も展開。アゴラ/BLOGOSブロガー(月間20万PV)。著書『16倍速勉強法』『16倍速仕事術』(光文社)、『マンガ勉強法』(ソフトバンク)、『YouTube英語勉強法』(サンマーク出版)、『お金がなくても東大合格、英語がダメでもハーバード留学、僕の独学戦記』(ダイヤモンド社)など。