燃料電池車による水素社会実現と格差問題の意外な因果関係

倉本 圭造

FCV(燃料電池車)は本当にエコなのか?という話を検証してみると、単純な技術プロセスだけを見ると無駄が多いように見えるが、それによる社会全体の連携の転換こそが「本当にエコな社会」への鍵なんだという話を前回までにしてきています。(このFCVのエコ度の考察について興味ある方はこちらから順にお読みください)

今回は、その「水素社会の実現」というのは、実は今の世界を悩ませる経済格差問題と密接な関係にあるのだという話をします。

3)FCVと格差問題の意外な関連性

日本がFCVを普及させたい気持ちの裏には、FCVはEVに比べて「すり合わせ技術」が大きく必要になってくるからだ・・・という事情があります。

つまり、EVは単純な構造で部品点数が少ないので、深い技術蓄積がなくても汎用品をポンポンと「組み合わせ」れば作れてしまう。そうすると、今をときめく日本の自動車メーカーが持っている競争優位がなくなってしまって、新興国やベンチャー企業の追い上げに負けてしまう可能性がある。

だから是が非でも、わざわざフクザツな構造のFCVを普及させたいのだという話になる。・・・などと書くとメチャクチャ腹黒いことを言ってるように聞こえますね(笑)

自分たちの優位性が崩れないように、もっと簡単に作れて比較的エコな電気自動車を排除しようとしている悪どい既得権益の塊がFCVのように見えてきます。もちろん、イーロン・マスク氏を含めて電気自動車ベンチャーの人は是が非でもそういうストーリーを普及させたいと思っている。

しかし、ここで考えてみて欲しいのは、「すり合わせ」的であるということは、「そこに関われる人間の数が増える」ということでもあるのです。

複雑な部品が増えるということは、そこに「イノベーションのタネ」が沢山含まれるということです。

単純な構造を無理やり全体に普及させると、それは凄く「今の社会的に良いこと」のように見えますが、そこに「関われる人間」が物凄く一部の人間に限られてしまうということでもあるわけですね。

一方で、複雑な製品を一歩ずつ普及させると、そのシステムの中で吸い上げられる「人間の工夫の余地」が圧倒的に大きくなることになります。そして「物凄く勉強ができる人」の力だけでなく、「ものづくり」に近いレベルの裾野の広い多くの人間が関われる余地がある。また、アメリカンになぎ倒すようなビジネス力だけじゃなくて、ある意味で「政治的な調整力」を発揮していくことが得意な人間の活躍する余地も大きく生まれてくる。

つまり、「物凄く頭の良い超絶理論家」と「物凄い行動力のあるベンチャー起業家」しか関われないのが電気自動車だとすると、燃料電池車の場合は、もちろん「頭の良い超絶理論家」も参加するし、一方であんまり勉強は得意じゃなかったけどもっと実体のある部品レベルに深い見識と経験がある多くの人間が関わって主体的な工夫を載せていける可能性が生まれる。

子供の頃から神童と呼ばれて東大の理系研究室で最先端の研究をしている人の力も当然取り入れられるし、トヨタの下受け中小工場で働く元ヤンキーの工業高校卒社員の工夫も取り入れられる余地が生まれるのが燃料電池車の世界なんですよ。

こういう構造の違いは、「格差問題」に決定的に関わってくるんですよ。

世界的に、グローバリズムの進展とともに経済格差の広がりが問題になっていますが、これはとりあえず「世界に共通ルールをゴリゴリ押し通していく」時代には、「具象的なレベルに深い体感のある性質」よりも、「勉強が出来て記号的なルールをバンバン回していける才能」が活躍できる余地が圧倒的にあったからなんですよね。

むしろ、後者が前者をいかになぎ倒していけるか、そこで余計なことを考えない単純な人間かどうか・・・が、過去20年間の経済的勝利のポイントだったと言ってもいい。

こういう構造をそのままにしたまま貧困層の教育格差を問題にして、「貧困層も勉強ができるようになれば格差問題が解決する」という方向に向かう議論には、その価値を否定するわけではないものの私は懐疑的です。(結局順位付けをすれば偏差値的に誰かは落ちこぼれることになるし、勉強が得意な人に向いている仕事の量は常に限られているからです)

そうではなくて、実現している経済全体において、「抽象度の高いレベルの思考をクルクル回せる才能」も、「具象レベルでシッカリとした体感と責任感を持てる才能」も、両方バランス良く含まれるような経済を目指すことが、格差問題解消の「根本的問題」だろうと私は考えています。

結果として、今後世界中に「水素社会」が普及するのか、それとも「電気自動車」が普及していくのか・・・(もちろんこれは二分法ではなくてそれぞれが選択肢として普及していくのでしょうが)、単純化していうと、

・水素社会になる
抽象度の高い話が得意な人間と、具象度の高い問題が得意な人間も含めた、多様なタイプの人間が関われる余地が生まれて、それぞれの経済価値を導入できるので格差がなだらかな経済が実現する

・電気自動車中心の社会となる
ごく一部の”システムに乗りやすい”タイプの性質を持った人間だけが巨大な経済価値を発揮できるような、格差がより深刻になる経済が実現する

という、人類にとって大きな分水嶺になっているんですよね。それをまとめたのが以下の絵です。

こりゃあ、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、ぜひとも争いに勝たねばなりませんな!

次回は、そのために大事なのは、「日本人の個人主義者に我慢をさせないこと」だという話をします。そこの「連携の文化」こそが今の日本最大のボトルネックなんですよね。

アゴラでは分割掲載しているので、一気読みしたいあなたはブログでどうぞ。

今後もこういうグローバリズム2.0とそこにおける日本の可能性・・・といった趣旨の記事を書いていく予定ですが、更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
・ツイッター→@keizokuramoto
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