ネタニヤフ首相の交渉力のルーツ --- 長谷川 良

アゴラ

オバマ米大統領はイスラエルの総選挙結果に失望しているかもしれない。イスラエルのネタニヤフネ首相は今月3日、野党の共和党の招待を受けて米上下両院合同本会議で演説し、大統領のメンツを潰しただけではなく、選挙戦終盤には米国が推し進めてきたイスラエルとパレスチナ2国家共存案を、「自分が政権にある限り、絶対に認めない」と強調するなど、米国無視の政策を貫いている。イスラエル首相の言動は数年前までは考えられなかったことだ。


イランの核協議は国連安保常任理事国5カ国(米英仏露中)にドイツを加えてイランとの間で政治的合意を目指して交渉中だが、宿敵イランが核兵器を製造することを恐れるイスラエルは、「不十分な合意はしないほうがいい」と頻繁に警告を発している、といった具合だ。

ネタニヤフ首相の交渉を見ると、「イスラエルは少し違うな」という印象を受ける。同時に、なぜイスラエルは交渉がうまいのか、と考えざるを得ないのだ。そこで、「なぜ、ユダヤ人は手ごわい交渉相手か」について少し考えてみた(イスラエルの呼称はヤコブがヤボク川を渡ろうとした時、天使と格闘し、それに勝利した後、神から与えられたもの)。

旧約聖書には、ユダヤ人が神と交渉している場面が記述されている。異邦人と交渉しているのではない。“ヤウエ”と呼ばれる神、主に話しかけ、神から譲歩を勝ち得る一方、神を慰めたりしているのだ。以下、旧約聖書から2つの話を紹介する。

①主は罪の重い町、ソドムとゴモラを滅ぼそうとされた。主は言われた、「もしソドムで町の中に50人の正しい者があったら、その人々のためにその所をすべて許そう」。アブラハムは答えて言った、「私はちり灰に過ぎませんが、あえてわが主に申します。もし50人の正しい者のうち5人欠けたなら、その5人欠けたために町を全て滅ぼされますか」。主は言われた、「もしそこに45人いたら、滅ぼさないであろう」。アブラハムはまた重ねて主に言った、「もしそこに40人いたら」。主は言われた、「その40人のために、これをしないであろう」。アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。私は申します、もしそこに30人いたら」。主は言われた、「そこに30人いたら、これをしないであろう」。アブラハムは言った、「いま私はあえてわが主に申します。もしそこに20人いたら」。主は言った、「私はその20人のために滅ぼさないであろう」。アブラハムは言った、「わが主よ、どうかお怒りにならぬよう。私は今一度申します。もしそこに10人いたら」。主は言われた、「私はその10人のために滅ぼさないであろう」(創世記18章26節から32節)。

アブラハムは神と交渉し、義人の数を下げていく、神は怒らず、その交渉に応じ、譲歩していく。朝の市場で野菜を買うように、アブラハムは神と交渉しているのだ。

②エジプトから60万人のイスラエル民族をカナンに導いた神はイスラエル人の不信に怒りを発する。モースは神を窘めているのだ。

主はモーセに言われた。「私はこの民をみた。これはかたくなな民である。それで、私をとめるな。わたしの怒りは彼らに向かって燃え、彼らを滅びつくすであろう。しかし、私はあなたを大いなる国民とするであろう」。

モーセはその神、主を宥めていった、「主よ、大いなる力と強さをもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民に向かって、なぜあなたの怒りが燃えるのでしょうか。どうしてエジプト人に『彼は悪意をもって彼らを導き出し、彼らを山地で殺し、地の面から断ち滅ぼすのだ』と言わせてよいでしょうか。どうかあなたの激しい怒りをやめ、あなたの民に下そうとされるこの災いを思い直し」それで、主はその民に下すと言われた災いについて思い直された(出エジプト記32章)。

アブラハムもモーセも神と交渉し、自身の考えを述べ、必要ならば神に譲歩を求めている。彼らは神を単に恐れるのではなく、対等の交渉相手として話しかけているのだ(交渉は独語でVerhandelnという。商売の交渉のHandelnから派生した言葉だ。ユダヤ人が商才に長けているのは決して偶然ではなく、神との交渉で培った交渉術が世代から世代へと継承されていった結果かもしれない)。

ちなみに、ユダヤ教を土台として派生したキリスト教、イスラム教では、神はあくまでも絶対的な主人であり、決して対等に話をし、交渉する相手ではない。そのような発想は最初から出てこない。それではアブラハムから発生した3大宗教、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の中でなぜ、ユダヤ教だけが神と対話できるのだろうか。新しいテーマだ。

ネタニヤフ首相の交渉相手は神ではない。オバマ大統領らこの世の指導者たちだ。神と交渉してきたユダヤ人にとって、この世の指導者は取るに足らない交渉相手に過ぎないのかもしれない。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年3月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。