先日また我らが古賀茂明先輩が往生際悪く報道ステーションで壮大にやらかされたようで閉口している。
詳細はリンク先を見ていただければと思うのだが、大筋として彼の主張は
〇報道ステでの「I am not ABE」発言に関して菅官房長から圧力がかかった
〇それを受けたテレビ朝日の会長と古館プロダクションの意向で自分は報ステを下ろされることになった
〇安倍首相は目指すべき社会として 「①原発輸出大国、②武器輸出大国 ③ギャンブル大国」を目指している
〇こういう安倍首相の方針に対して「原発輸出大国」じゃなくて「自然エネルギー大国」、「武器輸出大国」じゃなくて「平和大国」、「ギャンブル大国」なんかやめて「文化大国」という大きな主張をまとめたものが「I am not ABE」であってただの政権批判ではない
というところらしい。安倍首相に対するレッテル張りと被害妄想が激しくいささか閉口するのだが、改めてこうした彼の発言・スタンスの何が問題か、ということについてつらつらと思うところを述べていきたい。
①政治的に中立でないコメンテーターである
まず当たり前のことであるが民主主義社会において「報道の自由」というものが重視されるのは、それが「言論の自由」を担保するためのプラットフォームになっているからである。十分かつ偏りのない情報が与えられなければ適切な言論は確保できない。そのために報道機関は政府の圧力から解放されなければいけない、ということである。
これは最もであり、日本の政府は報道機関に対して事前検閲などは行っていないし、仮に誤報があったとしても損害賠償に訴え出るようなことはしない。しかしながらだからと言って報道機関に手放しの自由があるかというと、そういうわけではなく、報道機関に事由が認められるのは「政治的に中立である」という大前提があってのことである。政府の影響を受けてはいけないがごとく、当然特定の反政府思想に肩入れするようなことがあってはいけない。なぜならそれは言論の自由をゆがめるからだ。それは放送法にも書いてある。
【放送法条文】
(放送番組編集の自由)
第三条 放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。
(国内放送等の放送番組の編集等)
第四条 放送事業者は、国内放送及び内外放送(以下「国内放送等」という。)の放送番組の編集に当たつては、次の各号の定めるところによらなければならない。
一 公安及び善良な風俗を害しないこと。
二 政治的に公平であること。
三 報道は事実をまげないですること。
四 意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。
そんなわけであくまで報道番組は政治的に中立でなければいけないはずである。仮に政治的に中立でない人を出演させるならば(例えば政治家や政党の党員)それは視聴者に判る形であらわされなければならない。しかしながらコメンテーターというのは政治的に中立なことが大前提となっている存在である。それが「I am not ABE」といってはもはや降板やむ無しであろう。
②専門外の分野で自分の意見やデマをさも事実かのように話す
続いて問題なのは彼が専門外の分野で自分の意見を根拠もあげずに確定した情報かのように垂れ流すことだ。最も顕著なものは関西電力の停電テロ発言だが、今回の発言の中でも決めつけ、事実誤認に限りなく近いような以下の発言が多数みられる。
①アメリカの正義は日本の正義だっていうのが、安倍首相周辺の考えかた
②安倍首相は目指すべき社会として 「①原発輸出大国、②武器輸出大国 ③ギャンブル大国」を目指している
③安倍さんの側近と話をしたときに「あれ(国会で「列強」という言葉を使ったこと)は完全なミスだった」と認めた
④電力改革に至っては、自然エネルギーを抑制して原発推進に移行って、ほとんど原子力村の言いなり
①、②に関しては完全な彼の思い込みであるし、③に関しては根拠があげられていない。さらに④に関してはもはや事実誤認に近い。少なくとも近々で5基の原発の廃炉は決まったし、再生可能エネルギーの本当の専門家であれば誰しもが知っていることだがピーク電源である太陽光発電の出力抑制をベース電源の問題である原発代替にすり替えるのは、CO2の増加とエネルギー自給率の低下を招き明らかに国益に反する。(一応参考までいかに図を提示する。)繰り返すが彼はエネルギー政策に関しては素人だ。
③正義に酔っており民主主義を軽視する
彼は番組内で「正義っていうのは非常にダブルスタンダードになっているので、正義っていうのは分かんないんですよ」ということを述べており、これ自身は全く正しい発言なのだが、皮肉なことに彼自身は正義に酔っていて「I am not ABE」という発言を連呼している。本当に「正義というものが分からない」ということを考えているならば、公平な立場で事実に基づいた情報を提供し判断を視聴者に委ねるのが筋だと思うのだが、
「原発輸出大国」じゃなくて「自然エネルギー大国」、「武器輸出大国」じゃなくて「平和大国」、「ギャンブル大国」なんかやめて「文化大国」
という歪んだ二拓を視聴者に提示し、自分が思う正義の方向に明らかに視聴者を誘導しようとしている。そもそも民主主義と正義は長らく対立する概念として捉えられてきて、特定の「正義」というものの実現を疑ったがために公正を重視する議会制民主主義は生まれたはずである。よく言われることだがプラトンは「無知な大衆が支配者となる民主政治や無知な個人が支配者となる僭主独裁政治好ましくない。正義が実現するには哲学者が支配者とならなければならない」と考えていた。
特定の正義(例えば「戦争は絶対悪」だとか「原発はなくさなけれならない」だとか幅広く支持されるものも含めて)に目覚めたものは公正を失い、言論・報道をゆがめ民主主義を破壊しかねないので報道に携わるのはふさわしくない。政治家になるべきである。
。。。と色々述べてきたが、一言で言えばこのような人間を報道番組がコメンテーターとして起用し続けることは言論の自由ひいては民主主義を破壊すると思う次第で、テレ朝はまっとうな判断をしたと思う次第である。「ではどうすればよいのか?」ということなのだが、報道番組は放送法に基づき「放送基準」なるものを定めているのだが、この通りに報道番組を運営すればいいと思う次第である。以下特掲する。
【放送基準第2章 法と政治】
(6) 法令を尊重し、その執行を妨げる言動を是認するような取り扱いはしない。
(7) 国および国の機関の権威を傷つけるような取り扱いはしない。
(8) 国の機関が審理している問題については慎重に取り扱い、係争中の問題はその審理を妨げないように注意する。
(9) 国際親善を害するおそれのある問題は、その取り扱いに注意する。
(10) 人種・民族・国民に関することを取り扱う時は、その感情を尊重しなければならない。
(11) 政治に関しては公正な立場を守り、一党一派に偏らないように注意する。
(12) 選挙事前運動の疑いがあるものは取り扱わない。
(13) 政治・経済問題等に関する意見は、その責任の所在を明らかにする必要がある。
(14) 政治・経済に混乱を与えるおそれのある問題は慎重に取り扱う。
個人的には特定の立場に偏ったコメンテーターを採用してあれもこれもコメントさせるのはやめて、2~3人それぞれ得意分野の異なる専門家で役割を分担しつつ司会者が番組を進行するような形を心がけるべきなのではないかと思う次第である。
ということで最後に一言「I am not KOGA」
ではでは今回はこの辺で。
編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2015年3月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。