日本人は「和を以て貴し(尊し)となす」が、道徳の根幹にある。聖徳太子が十七条憲法の第一条でこの教えを制定して以来の民族的DNAだ。「お互いに仲良くし、調和していくことが最も大事だ」と子供のころから、脳髄に刷り込まれている。
「ケンカしちゃ、ダメだよ。いさかいがあっても、すぐ仲直りせよ、水に流せ」と。
だから、国家間の付き合いも友好第一が大原則。とりわけ、韓国や中国などの隣国、向こう3軒両隣の国とは友好第一、と思われている。
友好第一は日本だけでなく、どこの国でも大なり小なりそう言っているではないか、との反論もあろう。だが、タテマエは友好第一でもホンネはそうではない。地政学的に利害の反する国家に対しては牽制したり、権謀術数をめぐらし、相手の嫌がることをして、その国力を衰えさせようと画策する。
ところが、日本の外務省はとにかく友好第一で、姑息な策略はいけないことがと思っているフシがある。国民の多くもそうだ。韓国や中国はそこを良く知っていて、「友好第一」と言えば、日本はすぐに譲歩してくると思って、呪文のように日本に唱える。これに引っかかって、日本は相当に損してきた。
それでも和が大事という日本人の信念変わらない。だから、私がJBプレスでインタビューした古田博司・筑波大学教授の「韓国に対しては『教えない、助けない、関わらない』の非韓3原則を貫け」という主張に対しては、極右の危険な思想と思われがちだ。
そこまで行かなくとも「そうした冷たい態度は良くない、日本の国益を阻害する。こちらが譲れるところは譲って、摩擦やあつれきをなくすのが正しい外交だ」と反対する向きが多数派だろう。
ただ、ここからが本題なのだが、一方で、古田氏や私の「韓国と手を切る戦略」に賛成する右派、ナショナリスティックな人も増えている。韓国や中国の理不尽な振る舞いに怒っている人が多いからで、自然な反応ではある。
しかし、自分で「韓国と手を切れ」と言っていながらこういうのは恐縮だが、愛国心丸出しで感情的になるのは良くないと思っている。いや、愛国心そのものはいい。持つべきである。
しかし、それが嵩じると、冷静な判断と失い、日本の国益を損なう危険があると思うのだ。第2次大戦に入る直前の日本がそうだった。
ABCD包囲網の経済封鎖を敷かれ、日本は中国大陸から出て行けという「ハル・ノート」を突きつけられ、頭にカッと血が上って真珠湾攻撃に踏み切ってしまった。かなり荒っぽく言うと、そういう経緯であった。
日本政府が冷静なら、もっとほかに方法があった。例えばハル・ノートを世界のマスコミに公開し、「ここまで日本を追い込む米国案は理不尽ではないか。経済封鎖は宣戦布告と同等ではないか」と論陣を張れば、当時、戦争などしたくなかった多くの米国民は「日本の言うのももっともだ」と思い、もう少し穏便な交渉をすべきだと、米政府を批判したかも知れない。
当時のルーズベルト米大統領は欧州大戦に参戦し、ドイツと戦うことをもくろんでいた。そのためには、ドイツと同盟を組む日本に先に手を出させて(開戦に踏み切らせて)、不戦論者だったアメリカ人を怒らせ、戦争してもいいと思わせねばならなかった。そこで、日本が開戦に踏み切るように経済封鎖やハル・ノートの提示、要するに徹底した嫌がらせを行ったのだ、とも言われる。
多少脱線したが、言いたかったのは、平和第一、友好第一の日本人はその反動で、相手が余りにも理不尽な行動に出ると「こっちがこんなに譲歩しているのに、そこまでやるのか」と怒りだし、感情を露にして、戦闘的になってしまう欠点があるということだ。
和を尊ぶ精神の裏返しが、感情を露にしたケンカ魂であり、戦時の「鬼畜米英」がそれを如実に表している(戦前、多くの日本人は米国映画やファッションを好み、米国人に好感を持っていた)。
慰安婦問題や竹島問題など、昨今の韓国政府の行動に対する怒りもそれと同じである。私も怒っているのは確かだが、怒りとともに韓国と手を切る戦略を唱えているのではない。
古田氏も私もそれを戦略として考えているのであって、韓国や中国と事を構えよう(究極的には戦争をしよう)とは思っていない。
韓国には「助けない、教えない、関わらない」ことが日本の国益に資するとみて、冷静にそうすべきだと考えているのである。個々の韓国人には親しみを持てる人も大勢いる。
でも、韓国という国全体には非韓3原則が望ましい、と思うのだ。
今後、韓国の経済情勢が悪化して、日本にもみ手して、腰を低くして金融支援や技術協力を要請してくる可能性は小さくない。その時、大方の日本人は「あれだけ頭を下げているのだから、過去の無礼な態度は忘れ、水に流して、助けてやろうよ」と態度を和らげがちだ。
古田氏は「それがいけない、韓国はそこに付けこんで、さらに要求度を高め、たかってくる。それでいて、感謝もせず、後で日本の悪口を言い出すだろう」と手厳しい。感情的なのではない。戦略として冷静に対処せよ、と言っているのだ。
「和を持って貴しとせず」を感情ではなく、戦略とすることが肝心なのである。
編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年4月5日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。