”都”が東京だけとかズルいやろ!(都構想明日投票)

住民投票が迫っている大阪都構想について、「反対派のカルチャー」に普段は近い位置にいる私から、「反対派」の懸念はわかるけど賛成してみようぜ!という趣旨の記事を書いています。

そう長い記事ではないので良かったら第1回からどうぞ

前回までで、アメリカ一極支配的な世界の状況が多極化に向かう中で、日本は今「過剰な市場原理主義」と「過剰なアンチ市場原理主義」のどちらにも陥ることなく「自前のベストバランス」を実現できる特等席にいるので、だからこそ「今回の都構想的なもの」を一度受け入れてしまえば、その先に「本当の意味で両派のためになる道」を積み重ねていける情勢を作り出せるんだという話をしてきました。

今回は、それをより大きな視点から見た、「本来の商都大阪のプライド」のありかたの話をします。

3・大阪人特有の「ダメ人間化スパイラル」脱却を!

で、もうちょっと大きな話をするとですね。

私の母親は、都構想賛成派らしいです(ただし神戸市民なので投票権はない)。その理由は、

だって、”都”が東京だけのモンやなんてずるいやん!

 だそうで(笑)

 

そんな理由かよ!って感じですけど、でもこれ結構大事なことやと思います。

と、言うのも前述したように私は大阪に住んで大阪の会社で働いて大阪の色んな会社と仕事をして、さらには大阪の下町の路地の奥の奥まで訪問販売で中に入ってって色んな人と直に接してきた経験から言うんですが、今の大阪人の負け犬根性というか「ダメ人間化スパイラル」はほんと良くない感じなんですよ。

でも、昔はそうじゃなかったはずなんですよね。今の「大阪イメージ」と、本来の「大阪イメージ」は随分違ってきてしまっている。

「誇りある実質主義の商都大阪人」として頑張ろうぜ!じゃなくて、どんどん「競い合ってダメ人間ぶることで自分たち自身をも傷つける競争」みたいになってしまってるんですよ。

ブランド品を買った時に、大阪の人間は「いかに安く買ったかを自慢しあう」という話がありますが、そんな感じで大阪には特有の「どれだけ正直に生きてるか競争」をする巨大な磁場が働いてるんですよね。

で、それは「嘘くさい虚飾を廃する商都大阪の誇り」みたいなものだったはずで、良い方向に回り始めたら「次はこんなんやったろ!どや!東京には敗けへんでぇ!」的な好循環になるはずのものなんですよ。

でもね、これが今は、「真剣に働いてなんかやろうとするより、公務員にでもなってオイシイ位置占めといたら何もせんでもこんだけ貰えんねんでぇ!なんか頑張ってるアイツとかアホちゃうか?」的な方向での大競争みたいな雰囲気になってるんですよね。

以下の絵みたいな感じで(クリックで拡大します)、この「ダメ人間スパイラル」を「商都大阪のプライドスパイラル」に転換しないと、日本第二の都市が国の補助なしでは財政的にやっていけないというような状況は絶対いつまでも続けられないですからね。

 「既得権益をぶっ壊せ」的な定形表現は私はあまり好きじゃないんですが、しかし大阪に関して言うと、今は「マットウな商売」の方向じゃなくて「いかにウマい汁が吸えるかレース」的な方向に向いてるエネルギーが強すぎるので、どこかでショック療法が必要だと思います。

都構想に否定的な人はいわゆる「インテリで良識的」な人だと思うんですが、世の中にはそういう「インテリで良識的」な人の想像もできないほど自分のことしか考えてない人がいますからね。そういうモラルハザードを超える方向での回転は、どっかで起こしていかないといけないんですよ。そのことは、「維新の都構想」は反対する・・・というあなたも、「あなたのバージョンの理想」を考えるにあたって、ぜひ一度忘れないでいて欲しい点なんですよね。

・最後に

大阪は魅力ある街です。

このゴールデンウィークに妻と大阪旅行に行ったんですが、大阪の街(特にミナミ)に降り立つと、自分の中の関西弁回路がやたら活性化して、お好み焼き屋さんに並んでる時に隣のオッサンと雑談したり、会計してる時に店員のお姉さんと雑談したり・・・って自然になってしまうぐらいの「場の力」があります。

あべのハルカス内のホテルに泊まったんですが、日本一の巨大ビルからちょっと歩いたら釜ヶ崎のドヤ街や「ザ・大阪庶民の街」である新世界という状況が凄く新鮮でした。

実際、「新世界」なんて昔はちょっと私のような神戸出身のオシャレ関西人には訪れるのが躊躇されるような場所でしたけど、今はある程度観光地化が進んで(でも同時に昭和情緒的な町並みも消えずに残っているバランスがあって)、「ディズニーランドにいる間はオッサンでもミッキーの耳付けて歩ける」的な意味で、「新世界にいる時はみんなで昭和情緒にひたれる」的なテーマパーク的魅力が溢れていました。

こういう時に「ドヤ街的な世界」vs「ハルカス的なもの」的な”対立構図”に取ってしまうのは、そもそも大阪本来のもんではないはずです。

 むしろ、「東京ではしらへんけど、大阪じゃあそんなもんは通りまへんでぇ」的に「市場原理主義」の中から「嘘クサイ部分」だけを取り除いて、末端までシームレスに行き届かせられる力が大阪にはあると私は考えています。

新世界の商店街のオッサンたちも、やはりそうやって「大きな資本の流れ」の近傍にいることで、多くの人間が物好きにも「ザ・大阪のオッサン」を見たくて集まって来てくれることで「プライドを持って演じてる」良循環があるんですよね。

打ち捨てられたスラム一歩手前になったら「ダメ人間化競争」をやって自分で自分を傷つけてたオッサンたちが、ある程度「資本の論理」がちゃんと作用することで近所にあっちこっちからの観光客が来るようになって、商店街を自転車で通り抜ける時に、「ちりんちりーん、通るでぇ」と”口で”言いながら優雅に通り抜けて見せるダンディズムを発揮する方向に「競争心」を持てるような流れを生み出せるかどうか。

めちゃ極端な「市場原理主義」vs「アンチ市場主義」に分断されがちな世界において、実際に「市場主義」を「生身のレベル」でちゃんと受け止めて再生していくような力を、大阪は持っているはずです。

別の視点から言うと、東京は大きいですし、首都としての役割から常に日本全体との関係における無数の調整過程が必要なので、不自由さも当然ある。

一方で、大阪はそういう「国全体との調整過程」は必要ないし、しかしそこそこの国ぐらいの規模感がある(関西全体で連携すれば韓国ぐらいの規模感はある)わけですから、「いちいち東京にお伺いを立てないで済む身軽さゆえの独自施策」を始めるサイクルができたら、むしろ「グローバル経済の中に大阪アリ」という風になっていける可能性があります。

今、橋下氏的なものが「嫌い」な人・・・例えば人文系の学問関係者とか芸術関係者とかの「即物的でない」世界を重視してる人・・・から見ると、橋下氏やその周りにいる人達は「人間的に許せない」感じがするのかもしれません。

が、大阪・関西全体での「攻めの姿勢」が生まれて経済が好転することは、必ず人文系の学問や芸能関係にとっても最終的には良い影響がありますよ。イタリアルネッサンスはメディチ家が産むわけですからね。

それに、「本当に絶望的な貧困」に陥りつつある人達を救う原資も、全体としての統一的な行動による発展の結果でしか、やっぱり得られないですからね。

世界で最初に先物取引を発明した商都の復活を、私は遠くから願っています。

とりあえず、都構想やってみなはれ、やらなわからしまへんでぇ。

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それではまた、次の記事でお会いしましょう。ブログ更新は不定期なのでツイッターをフォローいただくか、ブログのトップページを時々チェックしていただければと思います。

倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
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