国立霞ヶ丘陸上競技場と聞いてピンと来る人はどれぐらいいるのでしょうか?高校サッカーやスーパー陸上など様々なイベントが催されていた競技場の名称ですが既に解体され新国立競技場として2019年頃に生まれ変わります。霞ヶ丘は1958年に竣工し、アジア大会、そして東京オリンピックの会場にもなった施設ですが、老朽化と設備のキャパシティ等が問題でサッカーの試合が誘致できないなどのハンディを背負っていました。
その思い出深い霞ヶ丘陸上競技場から新国立競技場へは進化のバトンタッチのはずでしたがここにきてすったもんだし始めたようです。私は本件についてちょうど一年前の2014年5月22日付の本ブログで次のように記載しています。
「現在の施設を収容能力8万人に変えるその設計者に選ばれたのがザハ ハディドというイラク生まれのイギリス籍女性設計家であります。流線型のヘルメットのようなその見栄えは確かにみる人への驚きやインパクトが強く、素晴らしいものに見えます。しかし、この決定には当初から不安が付きまとっていました。それは『これが作れるのか?』ということであります。ザハハディド氏の作品は『作れない建物』という異名もあるほど施工上、困難を要したり、コストがかかるものが多いとされています。そのため、ザハハディド氏に決まった後もその世界ではかなり異論が出続けています。」
結局、あれから1年、すったもんだし、既存の霞ヶ丘を壊すだけ壊そう、となんか始まったわけです。が、その工事費は当初予算の1300億円が3000億円に膨れ上がり、いまだに何を作るかはっきりしない状態となりました。おまけにザハ ハディド氏のデザインであるヘルメットのようなあの屋根はオリンピック大会後になにかつけるというお粗末な下村文部大臣の回答でいい加減な計画に対する怒りがこみ上げてきます。
もともとハディド氏の設計の売り物はあの屋根でした。その屋根をつくらないのであれば彼女の作品をコンペの結果選出した国立競技場将来構想有識者会議の責任はどうなるのでしょうか?ちなみにこの有識者会議のメンバーは14名いますがざっと見渡すと建築の有識者は安藤忠雄氏のみであとは政治家か経済界からスポーツ団体の長に収まっている人が委員に名を連ねています。つまり建物に関しては有識者でも何でもないのであります。
安藤忠雄氏は日本を代表する設計家でありますが、著名設計家は意匠と称するデザインに重きを置くものです。通常はそれを受けて実施設計をする部隊が別にいて周辺へのインパクト、コスト、工期、実現性、許認可などをカバーします。私は過去ある建物を建築するのに意匠と実施設計を別々の設計会社に発注したことも経験していますが、それぐらい違う性格の仕事なのです。
霞ヶ丘の歴史を理解し、神宮の森が東京の中でどのような意味合いがあるのかをよく理解した中で設計を進めれば私は自転車のヘルメットのようなデザインが採用されることはなかった気がします。あのヘルメットのデザインはその写真だけ見るとインパクトがありますが、神宮の森にふさわしいのか、あるいは多くの日本人にとって飛躍の原点だった東京オリンピックの会場の面影はどうなのか、そこの議論がすっ飛んでいたと思います。
私は海外で不動産開発に携わってきましたが、これが欧米流ならば霞ヶ丘の外観を一部残してヘリテージ(遺産)とした上で日本の技術力と森に溶け込むやさしさを前面に出した競技場にしたと思います。日本の建築の造形美は木造住宅は素晴らしいものがあるのですが、高層ビルではダメであります。それは耐震というハンデがあり思ったような造形美を打ち出せないのと建築主が無駄な意匠にはカネをかけたがらないからであります。ならば意匠については木造建築の重鎮とのコンビネーションも面白かったのではないでしょうか?
今さら言ってももう遅いのですが、新国立競技場は何が出来るかいまだよくわからない迷走を続けるプロジェクトであることは確かです。本件は専門家の間でも意見が二分し論争となっていますが、本当に素晴らしいデザインなら専門家のマジョリティは納得したはずです。残念ながらここからは妥協の産物となるはずです。なぜなら核となるデザインコンセプトは消えうせ、予算と工期ありきになっているからです。それ故私は「珍」国立競技場と命名したいと思います。
オリンピックがやってくるという事は嬉しいことですが、そのテーマやコンセプトがどこかに消えて経済的期待ばかりに目が行くようだと「日本はやっぱり日本」と言われかねません。あと5年ですからそろそろどんなオリンピックにするのかもう一度考えてみるべきでしょう。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
岡本裕明 ブログ外から見る日本 見られる日本人 5月19日付より