自殺が絶えない時代の「生きる知恵」 --- 長谷川 良

精神分析学の創設者ジークムント・フロイト(1856~1939年)は人間には死への本能があるという。タナトスと呼ばれる衝動だ。その衝動の有無は分からないが、自殺する人は絶えない。自殺する前、その人は通常、絶望している。その絶望をもたらす誘因に時代の影響が色濃く反映してくるのはやはり避けられないだろう。


最も考えられる誘因は健康問題と共に、経済的理由だ。食べることができない、借金を返済できない、子供を養えない、といった理由だ。最近では、金融危機下にあるギリシャで若い世代の失業者が増加しているが、同時に、自殺者が急増している。ギリシャが2011年、財政危機を受けて緊縮策を実施した後、同国内の自殺者がそれ以前と比べ35・7%増加したという調査結果が米国とギリシャの研究チームによって発表されたことがある。

海外反体制中国メディア「大紀元」(1月30日)によると、中国当局は党幹部の自殺や不審死などのデータを収集しているという。「共産党の人事を担当する中央組織部は今月初め、2012年11月の第18回党大会以降、不自然な死を遂げた党幹部らの状況を報告するよう地方当局に求めた」というのだ。習近平国家主席のラッパの音とともに開始された反腐敗キャンペーンの影響を受け、党幹部たちが自殺や不審な死を遂げているというのだ。「大紀元」によると、昨年1月から9月までに39人の党幹部が自殺したという。

キリスト教や仏教など宗教界では、自殺は許されない。与えられた命を自ら断つことは、命を与えてくれた神を罵倒することにもなるからだ。だから、一昔までは、神父の自殺など考えられないことだった。しかし、神を信じる神父や牧師の自殺が報じられる世の中となってきたのだ。

イタリア北東部のトリエステのローマ・カトリック教会の神父が昨年10月、自殺した。神父の所属する司教区の話によると、神父は13歳の少女に性的虐待を行ったことを司教に告白した直後、自殺したという。性犯罪を犯した若き神父が罪の痛みに耐えきれなくなって、自ら死を選んだというのだ(「一人の神父の『罪と罰』」2014年11月1日参考)。ちなみに、日本でも最近、1人の牧師が自殺している。聖職者に従事する神父や牧師が神の存在を信じないと堂々と告白する時勢だから、聖職者の自殺はもはや珍しいことではないのかもしれない。

世界保健機関(WHO)によると、世界で1日平均、約3000人が自殺している。自殺者数では人口大国の中国が最も多く10万人以上。人口10万人に対する自殺率ではリトアニア、ベラルーシ、ロシアなどの旧ソ連/東欧諸国が久しく上位を占めてきた。旧ソ連・東欧の共産政権時代では自殺はタブー・テーマだった(「ミス・ハンガリーはなぜ自殺したか」2006年12月13日参照)。最近では、韓国の自殺率が高い。

自殺の話をする時、当方は数年前、スーダン出身の国連記者から聞いた話を紹介する(「スーダンと『自殺』の話」2007年6月5日参考)。なぜならば、その話の中に、自殺予防策が含まれていると確信するからだ。スーダンでは自殺はほとんどない。スーダンは欧米社会では考えられない「自殺の無い国」なのだ。

スーダン人記者は「恋に破れた青年が自殺を考えながら森の中を歩いていた。すると、森の近くに住む叔父が彼を見つけて話し掛けてきた。青年は自殺できなくなった。青年の周囲には叔父、叔母など親戚が多数住んでいたからだ。そもそも独り住まいのスーダン人なんて、ほとんどいない。親戚や家族と一緒に生活している。食事も1人で食べることはない。だから、独り寂しく悩み、そして自殺を準備する、といった贅沢なことはわが国では出来ない」と語っている。

スーダン人記者の話から、自殺予防の最強対策は、やはり「家庭の絆」ということが分かる。その「家庭の絆」が崩壊すれば、堤防のない河のようだ。大雨に襲われれば、住居が流されてしまうように、人生で危機に直面した時、人は容易に最悪の道を選択してしまう。家庭が崩壊している欧米社会で自殺が絶えないのは当然の結果ともいえるわけだ。

しかし、時代の振子は元に戻らない。少子化が進み、大家族制の復興をもはや期待できない今日、東京にスーダンの社会を作ることは夢物語だ。それではどうしたら「家庭の絆」を維持し、強めることができるだろうか。幸い、インターネット時代の到来で都会に住んでいても田舎の実家と容易に連絡が取れ、話すこともできる。コミュニケーションの手段は存在する。もちろん。「家庭の絆」だけではない。相互援助のソーシャル・ネットワークの構築も重要だろう。人は一人では生きていけないのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年5月20日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。