大阪都構想が否決されてから10日ほどたって騒ぎもおさまり頭が冷えて来たので、今さらながら自分として思うところを書き残しておきたいと思う。
大阪というのは、21世紀の日本経済の中で間違いなく負け組であり続けた。以下の図は2001年度~2010年度の各都道府県の経済成長率を単純に比較して上位(勝ち組)、中位(現状維持)、下位(負け組)とグループ分けしたものだが、大阪は大都市でありながら下位グループに入った唯一の都道府県である。なおこの間大阪の人口は増えている。
別にこれは21世紀に入ってのことではなく、大阪の経済は1990年代よりずっと地盤沈下を続けて来たわけで、その要因は広汎にわたり以下の大阪府の報告書などでは
「€‚域外の需要を獲得するべき製造業の競争力が低下し 、また、代わりとなる牽引産業も表れず、その結果、それらの産業から波及を受けていた非製造業も停滞する」
という絶望的な評価が下っている。
そのような中で彗星の如く表れた救世主?が橋下徹現大阪市長なわけで彼は2008年に大阪府知事選に立候補して以来一貫して、「大阪を変える」ということを言い続けて来たわけだが、では実際に大阪は(少なくとも経済的な意味に置いて)変わったかというと、特段データから見る限りは大きな変化は生まれていない。
相変わらず停滞する地方の大都市で有り続けている。もちろん「就任してすぐでは結果は出ない」ということも言えなくもないわけだが、橋下氏が大阪の府政を事実上預かるようになってから7年半も経つわけだから、さすがにそろそろその理屈は通じないだろう。府の財政についても色々と数字のマジックはこらしたものの結局は起債許可団体の仲間入りをしてしまい、特段立て直しに成功したわけではない。
その中でなぜ橋下府政がこれだけ支持され続けて来たのかというと「改革する」ということを続けて来たことにあったように思う。結果は出ても出なくても、とにかく橋下府政ー市政ではありとあらゆる「改革」が行われた。
教育長の専任なり、公募区長制なり、公務員労働組合改革なり、水道ー地下鉄民営化なり、その都度色々と盛り上がって来たが、橋下氏のブレーンである上山信一氏によると164個もの改革が行われたらしい。中には頓挫したものも、問題が噴出したものも様々あったが、それでもとにかく橋下氏は改革を続けた。
そしてその「改革」の総仕上げが「大阪都構想」であったわけだが、これは結局成立しなかった。そして橋下氏は引退を表明した。
別に大阪都構想が成立しまいが成立しようが大阪は直ぐに変わることは無いのだから、「大阪都構想が実現しないから引退する」というのはやや珍妙に聞こえるのだが、「もう改革することが無くなったから辞める」と解するとこれも納得いく。総じて見ると橋下府政というのは「改革を続けることによって、成果が出ない現実から目を背け続ける」という政治だったように思える。
そして多分これからもその精神は維新の党なり大阪維新の会なりに引き継がれていくことになるのだろう。大事なことは「改革を続けること」であって必ずしも「成果を出す」ことでないのだから。なお維新の党の結党の目的は「改革勢力の結集」である。
ただ残念ながら大阪に残された「改革」項目はそれほど多くない。幸か不幸か橋下さんがやり尽しているからだ。後に残るのは「改革」が残した酷い対立だけだ。早速市議会と府議会は議長ポストを巡って与野党で不毛な大争いを始めている。
ちなみに冒頭の分類で「勝ち組」となった京都市では、平成12年の観光客4000万人ー観光消費4400億円の時に「10年後に観光客を5000万人にする」という目標を立て、京都府と二人三脚で推進。平成21年に5000万人越えを達成、平成25年には観光消費は7000億円の大台に乗った。なお京都府の人口は260万人で、そのうち京都市の人口は140万人だ。別にこれをもって大阪都構想の反例にする気はないし、まぁ大阪には「成果」は無くても「改革」が残ったんだから良しとしようじゃないか。
ではでは今回はこの辺で。
編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2015年5月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。