「愚者の楽園」の中の安保論議 --- 井本 省吾

政治評論家の杉浦正章氏は、ブログで「安保法制をめぐる発言では副総裁・高村正彦の発言が一番分かりやすい。平易な言葉で核心を突いている」と評価している。例えば、高村氏は「集団的自衛権の行使は伝家の宝刀だ」と説く。

「抜くぞと見せかけて抜かないところに抑止力が生じる」。たしかに安保法制は攻撃的な性格のものではなく、受動的な性格が濃厚である

野党は「アメリカの肩代わりをすることになる」と追及するが、高村は「外形的には米国が(他国に)やられているのを、日本が守れば集団的自衛権の行使と言われざるを得ないが、あくまで自国防衛の目的を伴った限定的な行使だ」と述べる

高村は「アメリカは、かつては基地を提供してくれれば後は全部任せてくれという態度であった。今でも圧倒的に強いが、世界の警察官疲れをしている」と説明する

民主党や共産党など野党がすぐに口にする「アメリカの戦争に巻き込まれる」論についても、高村氏はやんわりといなす。

(1960年に日米安保条約の改定時にも)反対という人は「戦争に巻き込まれる」と言った。次に周辺事態立法の時も巻き込まれると言い、(国連平和維持活動(PKO)協力法を成立させ、それに基づいて自衛隊を海外派遣する際も、戦争に巻き込まれると主張した。しかし、かえって抑止が利いて日本は70年間平和だ。巻き込まれる危険と抑止力で未然に防止する効果とどっちが大きいかは火を見るより明らか

見事である。

自衛隊員のリスクについても高村氏は「まさに国民のリスクを減らすために安保法制を作った。有事の際に自衛官が一番のリスクを負うのが当然だが、そのリスクを減らすためにいろいろな工夫をしている。木を見て森をも見れば紛争を未然に防げる。そうすれば自衛官のリスクですら減る」と延べており、杉浦氏は「極めて妥当な発言だ」と拍手する。

私も異論はない。安保法制にまつわる国民の不安を払拭するのに、適切で明快な説明といえる。

だが、苦い薬を飲ませるためのシュガーコートが巧みだとも言える。前回の拙ブログに即して言えば、「安保論議に危機感が欠けている」のは、薄い幕(シュガーコート)を張って、国民の目を「厳しい現実」からそらす努力ばかりやっているからではないか、ということになる。

「厳しい現実」とは中国のあからさまな軍拡と周辺国への侵略である。半世紀前は中国の支援を受けて米国と戦ったベトナムが今や、その米国の軍事支援を受けて中国の侵攻に対峙する時代である。日本にとっては北朝鮮からの脅威もある。

政府はユーチューブなどの映像を交えて、そうした中国や北朝鮮の危険な動向を内外に向けて日々、発信すべきなのだ。大手メディアも同様である。

宮崎正弘氏の書評によると、廣池幹堂著『人生の名言 歴史の金言』(育鵬社)
の中で、沖縄密約のときは佐藤栄作首相の密使として何回もアメリカへ飛んで、ニクソン、キッシンジャーなどと渡り合った若泉敬氏(京都産業大学教授)は、こう言っている。

危機管理とは(防衛、核武装、戦争など)考えられないこと、或いは考えたくないことを考えることである

戦後の日本人は危機管理など考えたくないことには目をつむり、耳を塞いできた。そしてきれいごとをいって、耳に心地よいことばかりを追い求めている。まるで愚者の楽園であり、精神的文化的に根無し草に陥ったようなものである

 高村氏など自民党幹部の安保論議は(安保法制という)薬を国民に飲み込みやすくしていると評価できる反面、国民をいつまでも「愚者の楽園」に眠らせる副作用を生みやすい。時には「怖い現実」を知らせて冷水を浴びせ、楽園にいる錯覚から目を醒まさせる必要がある。
 


編集部より:この記事は井本省吾氏のブログ「鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌」2015年6月2日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった井本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は鎌倉橋残日録 ~ 井本省吾のOB記者日誌をご覧ください。