長谷部恭男氏の空気を読まない発言が大反響を呼んで、国会を混乱させている。野党は彼を「平和主義者」と評価しているが、本書を読めば明らかなように、彼は単純な第9条原理主義者ではない。
私の印象では、彼は実定法の条文よりその背後にある政治的な文脈を重視するポストモダン法学に近い。自衛隊についても「違憲」とは断定せず、運用でカバーすればいいというが、集団的自衛権については「日本の立場から見てどんなにおかしな軍事行動でも、アメリカに付き合わざるを得なくなります」という運用上の問題を指摘している。
こういう立場からみると、憲法を改正するかどうかは最大の問題ではない。法律は条文という形の政治的利害の表現にすぎないので、それが政治的に正しい場合は厳守され、正しくない場合は空文化して第9条のようになる。だから解釈改憲で慎重に運用を変えればいいのだ。
とはいっても、長谷部氏もいうように「違憲であるはずのものを合憲にする」ことには限度がある。この点で、明治憲法には致命的な欠陥があった。天皇をサポートする内閣の規定が憲法になく、各省や陸海軍と同格で天皇の下に並ぶタコツボ構造になっていたのだ。
坂野潤治氏の研究によれば、その手本になったのは福沢諭吉が考案した交詢社の「私擬憲法」である。その第2条はこうなっていた:
天皇は聖神にして犯す可からざるものとす。政務の責は宰相之に当る。
これに対して、井上毅の書いた大日本帝国憲法の第3条は、こうなっている:
天皇は神聖にして侵すへからす。
この他の明治憲法の条文も、憲法に著作権があったら交詢社に権利侵害で訴えられるほど似ているが、大きく違う点がある。それは政務の責任は宰相(国務大臣)にあるという規定が削除されたことだ。
しかも交詢社案の第9条「首相は衆庶の望に依り[議会の決議に従って]天皇親しく之を選任す」という議院内閣制の規定も削除された。このため内閣制度は憲法の前からあったのに、明治憲法は内閣も首相もないタコツボ構造になってしまった。
これについては片山杜秀氏と「バグか仕様か」という話をしたが、井上は意図的にタコツボにしようとしたのではなく、民権運動の不平士族が議院内閣制で首相になって大混乱になる事態を恐れたので、意図せざるバグだろう。
この欠陥に気づいたのは憲法を起草した伊藤博文だけで、彼は特に統帥権の独立を危惧して憲法を改正しようとした。そして文民統制のモデルとして朝鮮統監府をつくり、みずからその初代統監になったが、朝鮮のテロリストに暗殺されてしまった。
新憲法では議院内閣制が明記されたが、このタコツボ構造は残り、むしろ政治任用がなくなって官僚の「純潔性」が強まった。これが官僚内閣制の起源である。憲法を改正してもこの構造は変わらないが、これを変えない限り日本は変わらない。それは少なくとも江戸時代から日本に根づき、すべての日本人の「システム1」に埋め込まれているからだ。
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