27日土曜日に私は百田尚樹さんのツイート『もし今回の発言で、私が謝罪させられたり、社会的に葬られたりしたら、今後、内輪の席であっても、誰も「○○新聞はつぶれろ」と言えなくなるなあ。密告や盗み聞きで、その発言が新聞社に知られると、大変なことになる。新聞社の悪口を言えば、社会的に抹殺される時代がくるかも(^_^;)』をリツイートしました。
御承知のように之は、先週木曜日に開催された自民党若手による勉強会「文化芸術懇話会」で講演した百田さんが、曰く「沖縄の二つの新聞社はつぶれたらいいのに、と(中略)講演の後の質疑応答の雑談の中で、冗談として言ったもの」が「報道の自由」や「言論の自由」を弾圧しているとして各方面に叩かれている件ですが、本ブログでは当該問題につき以下私の考え方を端的に述べておきたいと思います。
言うまでもなく百田さんは現在は「民の人」ですから、何を言おうとも勝手です。一会合に講師として招かれた「民の人」がどんな発言をしようにも、之をまた大手メディアが叩くのは如何なものかと思います。
追及すべきは「公の人」の言動であります。その「民の人」の発言を受けて「公の人」がどう考えどう反応するかが問題であって、それは自民党として党針にそぐわぬがゆえ関係者夫々に処分を下したわけです。
百田尚樹という「民の人」を叩いて一体何になるのでしょうか。百田さんも百田さんでその御発言につき「冗談」とか「本気」とか言われますが、御自身の考えを貫かれたら宜しいだけで謝罪される必要も全くありません。
「民の人」は自分の思うことを思うように発したら良く、それを聞く「公の人」が「我が意を得たり」と思うか、「少し過激な発言では?」と思うか、「それは可笑しいだろう」と思うか等々、どう判断するかの話です。
百田さんも昨夜、『こんなことを書くのもアホらしいですが、憲法21条にはこう書かれています。「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」つまり、私的な会合での発言は、憲法で保証されているのです。スターリン時代のソ連は、家庭での発言も密告されて処罰されました』とツイートされていました。
今回のメディアによる一連の「百田叩き」の動きというのは、之こそ憲法で保障されているはずの「表現の自由」、「言論の自由」を否定するものであるように思われて、健全たる民主主義社会の根幹を揺るがす由々しき事態だと私自身は危惧しています。
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