これが今週の週刊新潮と文春の中吊り広告だ。「うぬぼれ自民党」やら「自民党は死んだ」などの派手な見出しはあっても、騒ぎの発端になった百田尚樹氏の名前はどこにもない。彼は新潮社からも文藝春秋からも本を出しているミリオンセラー作家だからである。昨今は『殉愛』をめぐるスキャンダルで社会的評価は地に落ちたが、「売れる作家」であることは間違いない。
日本の「言論統制」は、こういう目に見えない形で、日常的に行なわれている。特に週刊誌が作家のスキャンダルを書かないタブーは徹底していて、編集者と飲むとよく出てくるのは五木寛之氏の「金沢で雪を見よう」という有名なナンパ癖だが、彼の女性問題が記事になったことはない。
週刊誌の自主規制ぐらいは大した問題ではないが、重大なのは電波利権のタブーだ。私の友人も「通信と放送の融合」の話をしただけで、民放のバラエティのレギュラーを降ろされた。もう一つ大きいのは、原発のタブーだ。経営者と話すと、原発を正常化してほしいという声をよく聞くが、話をしてくれというと「うちは客商売だから…」。
朝日新聞などが騒ぐ治安維持法みたいな言論弾圧が、現代の日本で起こるはずがない。大部分の言論は、このようにマスコミのタブーとして闇に葬られるのだ。私がアゴラを立ち上げた一つの理由も、日本のマスコミにはこういうしがらみが多すぎるからだ。
公平にみて、言論統制の最大の原因は自民党ではない。彼らは悪口をいわれるのが仕事みたいなもので、スネに傷があることも知っているから、マスコミにはていねいに対応してスキャンダルが表面化しないように気を配る。今回のように過剰反応するのは、国会運営の失敗による焦りだろう。
日常的に厳重な言論統制をしているのは、官庁である。私の例でいえば、経済産業研究所に勤務していたとき、個人情報保護法に反対する声明を出しただけで北畑隆生官房長(当時)が戒告処分を出した。こういう処分にならないまでも、「不都合な情報をマスコミに流した」と疑われただけで左遷(多くの場合は他省庁の窓際ポストに出向)される。
もちろんこれは合法的な人事であり、憲法に違反しない。しかし日本の「言論統制」の大部分は、このように目に見えない形で行なわれ、さらに多くの人がそういう「空気」を読んで自粛しているのだ。今回の騒動は、そういう言論の不自由な社会の実態をマンガ的な形で表面化させた点ではおもしろい。
追記: 新潮には「私を言論弾圧男に仕立て上げた大マスコミに告ぐ」という百田氏の反論が載っているが、批判記事はない。