集団的自衛権と対米従属

米国の軍事戦略に詳しい安全保障の専門家である北村淳氏がJBプレスで「窮地に立たされ日本を利用しようとする米国」と題し、集団的自衛権の行使容認に踏み切った日本政府の安全保障政策の問題点を指摘している。要旨はこうだ。

米国海軍は軍事予算の削減から、思うような軍事戦略がとれず、米国の防衛に日本の海上自衛隊を利用したいと考えている。今回、日本が集団的自衛権の行使容認に踏み切ったことから、これが容易になると踏んでいる。

アメリカ海軍が巨費を投じて開発に邁進しているNIFC-CA(イージス艦や早期警戒機などによる防衛システム--井本注)の究極の防御対象は、人民解放軍にとり最大の攻撃目標であるアメリカ海軍空母である。

日本にとっても、日本周辺海域に展開するアメリカ空母を防衛することは極めて重要である。しかしながら、日本防衛にとっては、アメリカ空母を狙う中国の対艦弾道ミサイルや超音速巡航ミサイルよりも、日本全土の戦略目標を確実に破壊できる人民解放軍長距離巡航ミサイルのほうがはるかに大きな直接的脅威である。ただでさえ少なすぎる国防予算を、日本自身が直面している脅威を抑止するために優先的に割り当てるのは日本国防当局の責務である。

安倍政権は「米国の軍事予算削減と中国の軍拡が進む今、日本はこれまでのように一方的に米国の軍事力に頼るのではなく、時には日本が米国を守らねばならない。集団的自衛権の行使を容認するのはそのためだ」として、今国会での安保法制の成立を期している。

そのこと事体はいい。北村氏も「21世紀の現在、いかなる国家といえども単独防衛は困難である。日米同盟は日本の安全保障にとって極めて重要な要素であることは間違いない」と書いている。しかし--。

軍事同盟はあくまで自主防衛努力を補強するものである。「日米同盟こそが日本防衛の唯一の方策」などと公言してはばからず、日本自身の防衛よりもアメリカ軍艦の防御を優先させるような対米従属的姿勢は即刻改めなければならない

日本はアメリカの下請けになってはならない、と言っているのだ。下請けとは何か? 市場開拓、商品開発など企業の盛衰に関わる経営の根幹をすべて親企業(元請け)に委ね、自分は親企業の言われるままに、商品や部品の生産に専念する企業にほかならない。親企業に都合よく使われて低収益に甘んずることも少なくない。

市場や技術が大きく変わったときに、その変化に対応できず、親企業もろとも経営が行き詰まる危険も大きい。それどころか、親企業は危ない事業から速やかに撤退、それを事前に知らされない下請けだけが倒産の憂き目を見ることすらある。

安保戦略の根幹を米国に丸投げしてしまいがちな日本の外務省や防衛省はこの下請け企業と同じ危険をはらんでいる。自国の海上防衛のためと思っていたら、体よく米海軍の防衛に使われていたということになる、と北村氏は危惧しているのだ。

「独立の気概なき者は国を思うこと深切ならず」。

「学問のすゝめ」に出てくる福沢諭吉の有名な言葉である。

集団的自衛権の行使に異論はない。だが、米国はじめ各国は自国の国益を最優先に考えている。この自明のことを忘れれば、国の独立も安全保障もあやうい。

米国は自身の安全保障にとって「東アジアは不要だ、いつまでもとどまっていたら危ない」と判断すれば中国と握手して東アジアから撤退し、日本を見捨てることだってありうるのだ。

米軍に体よく使われる恐れがあるという点では、集団的自衛権の行使によって自衛隊の危険が増すという民主党などの野党や大手マスコミの安倍政権批判には一理ある。

だが、東アジアの防衛環境の変化に目をつぶり「日本が米軍を守らなくたって米国は日本を守ってくれる」と根拠のない甘ったれた姿勢を続けている点では、自民党政権よりもはるかに危なっかしい。
ただ、皮肉なことに、「何がなんでも集団的自衛権の行使は容認できない」と反対する勢力が日本に存在することは、「地球の裏側まで自衛隊が米軍につき合わされる」危険を防ぐ手立てになっている。

「野党やマスコミにあんなに反対されては、日本から遠い地域にまで自衛隊を派遣することはできない」と、米国に言い訳できるからだ。

しかし、単なる言い訳の戦術にすぎない。安保政策の根幹にあるのは、自国の国益であり、独立の気概である。米軍の現時戦略のコマとして家来のように付き従うことは極力避けなければならない。

今回の安保法案で「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆られる明白な危険がある」「他に適当な手段がない」「必要最小限度の実力行使にとどまる」ということを「自衛のための武力行使の新3要件」と定めたのは、米国の過剰な要求を拒否するためにも適切と言えるだろう。

ただ、米国は日本が自国の安全保障に役立たないとなれば、日本を守る意思を弱める。米国を日本と東アジアに踏みとどまらせるには、それ相応の協力もしなければならない。どこまで米国に協力するか。その駆け引きこそ、集団的自衛権を行使容認した今、これまで以上に日本の外交と安全保障政策にとって重要になって来るだろう。