日本では15日は終戦70年目に当たり、さまざまな追悼集会が開催されたが、当方が住む欧州のカトリック教国では「聖母マリアの被昇天日」で祝日だった。カトリック信者ではない人にとって、「聖母マリアの被昇天」といってもピンとこないだろう。聖母マリアが霊肉共に天に昇天したという教義で、ローマ法王ピウス12世(在位1939~58年)が1950年、世界に宣布した内容だ。もちろん、同12世が聖母マリアの霊肉被昇天の教義を突然言い出したのではなく、第1バチカン公会議(1869~1870年)から高位聖職者の間で教義化への動きはあった。
▲「無原罪の御宿り」=バルトロメ・エステバン・ムリーリョ画(ウィキぺディアから)
カトリック教会には聖母マリアに関連した祝日は2回ある。今月15日の「聖母マリアの被昇天」と12月8日の「聖母マリアの無原罪の御宿り」の日だ。いずれもイエスの母マリアの神聖化した日だが、祝日の内容をそのまま信じることは現代の信者たちにとっても難しいのが現実だ。亡くなった遺体が霊肉とも昇天するといったことは考えられない。だから、キリスト教会の中で東方正教会はマリアの肉身昇天ではなく、霊の昇天と受け取り、マリアの昇天を教義と受け取っていない。
12月8日のマリア「無原罪出産」の場合、神学的にもっと深刻だ。イエスは罪なき神の子として降臨した。アダムとエバが犯した原罪からは影響を受けていない。しかし、イエスが無原罪だったから、その母親マリアもきっと罪なき人間として生まれてきたはずだ、という発想から1854年、聖母マリアの「無原罪の御宿り」という信仰箇条が決められた。聖母マリアを“第2のキリスト”といった聖母マリア信仰が生まれてくる背景となった決定だ。
キリスト教会はカトリック教会でもプロテスタント系教会でもその聖典は聖書だが、その聖書の中には聖母マリアの無原罪誕生に関する聖句は一切記述されていない。キリスト教会が考え出した教義であることは明らかだ。聖書を読む限り、イエス自身は母マリアに対してかなり厳しい言葉を発しているのだ。
イエスが漁夫や売春婦に福音を述べている時、弟子が「お母さんが外で呼んでおられます」と言ってきた。その時、イエスは「私の母、私の兄弟とは誰のことか。見なさい、ここに私の母、兄弟がいる。神の御心を行う人こそ、私の兄弟、姉妹、また母なのだ」(マルコ福音書第3章)と返答している。ガリラヤのカナの婚礼では、葡萄酒を取りに行かせようとした母マリアに対し、イエスは、「婦人よ、あなたは私と何の係りがありますか」(ヨハネ福音書第2章)と述べ、親族の結婚式のために没頭するマリアに不快の思いすら吐露している。
それでは、なぜカトリック教会は聖書に記述されてもいないマリアの神聖化に乗り出したのだろうか。キリスト教社会で長い間、神は父性であり、義と裁きの神であったが、慰めと癒しを求める信者たちは、母性の神を模索し出した。その願いを成就するために、マリアが母性の神を代行するとしてその神聖化が進められていった経緯がある。
もし、イエスが結婚して妻をめとっていたならば、イエスの家庭で神の父性と母性の両方の格位が完成するから、聖母マリアを神聖化する必要は本来なかった。聖母マリアの被昇天の教義、無原罪懐胎、「第2キリスト論」といった一連の聖母マリアの神聖化の背後には、イエスが結婚できなかった悲劇が隠されているというべきかもしれない。
聖書では、「神と人間との間の仲保者もただ1人であって、それはキリスト・イエスである」(テモテへの第1の手紙第2章5節)と記されている。聖母マリアを救い主イエスと同列視する教義は明らかに聖書の内容と一致しない。聖母マリアの神聖化は、イエスがその使命を完全には成就できなかったことを間接的に証明していることにもなるのだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年8月17日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。