日本経済新聞6日付けの「日曜に考える」のテーマは「安保法案、経済界から見ると」。
同法案賛成派の葛西敬之・JR東海名誉会長に対し、反対派として登場したのが、元中国大使を勤めた前伊藤忠商事会長、丹羽宇一郎氏だ。
その論理展開が危なっかしいというか、親中姿勢が目立つのだ。
安保法案を評価しない理由はこうだ。
政府の裁量権が大きい。白なのか、黒なのか、はたまた灰色なのか。ときの政権が決めることができる。……『現状では』と限定が付く。『現状』は絶えず変わり得る。10年後に戦争が始まりそうなときに『法律にそう書いてある』となるのが怖い。
法律には大なり小なり政府の裁量権がある。安保法案は「それが大きい」と丹羽氏は言うが、現行憲法の成立当初、時の吉田茂首相は「自衛のための戦力も持てない」と明言していた。朝鮮戦争が勃発するや、米国の圧力を受けて、警察予備隊ができ、その後、保安隊を経て自衛隊が発足した。憲法9条の規定は完全に無視された形だ。
これに比べれば、今回の安保法案の裁量権は小さい。何が言いたいのか。「現状」が変化すると、それだけ裁量権は変動する、ということだ。
しかし、法治国家である以上、法的安定性の確保は必要であり、裁量権には枠を設けるべきだ。それが今回の安保法案の提出なのである。まじめで実直な姿勢と言うべきだろう。
むろん、より明快な法的安定性を得るには憲法を改正する必要がある。丹羽氏は「憲法学者の8、9割が違憲の疑いがあるというのに、憲法学者の声を聞かないのはおかしくないか」と批判する。
しかし、憲法学者の多くは、圧倒的多数の国民が存在を認めている自衛隊を否定せず、「個別的自衛権までの解釈改憲はいい。集団的自衛権はダメだ」という。現状追認の好い加減な憲法論ではないか。
憲法改正は戦後、何度も俎上に上りながら、実現しなかった大きな理由は国会の3分の2の多数を得なければならないという厳しい規定によるものだ。
丹羽氏はそこを見越してか、「集団的自衛権を行使するのなら憲法を改正すべきだ」と主張する。
ところが、憲法改正に賛成か否かを問う質問に対しては、「イエスでもノーでもない。必要があれば直す。戦後70年も現憲法でやってきた。国民的議論もないままで改正はできない」とかわす。
伊藤忠の社長、会長、中国大使まで勤め76歳にもなって、憲法9条の改正に明確な賛否を言えないというのだ。「必要があれば直す」というが、「だからいま、必要かどうか」と尋ねているのではないか。
そこに親中派としての立場が影を差してはいないか。日本の安全保障は大事だとわかっていながら、中国の思惑を気にかける右顧左眄。ガス田開発についての意見がそれを映している。
――政府は東シナ海で中国のガス田開発がさらに進んでいると発表しました。
「2008年に中間線付近のガス田は日中が共同開発することで合意した。中国が10何カ所も勝手に開発していたならば、なぜずっと黙っていたのか。7月になってわかったのではないはずだ」
――黙認していたことになりますか。
「なるだろうね。……この間まで安保法案は北朝鮮とイランに焦点を当てていたのに、……急に中国を想定して議論を始めた。これからの日中関係を考えたら、決してプラスではない」
日本政府がガス田開発を発表しなかったのは、発表によって中国との緊張や摩擦が高まるのを恐れてのことだろう。私自身はそんなに消極的にならず、日本を無視した中国の行動について発表し、中止を求めるべきだったと思う(水面下の対中交渉ではやっていたかも知れないが)。
それにしても、「突然の発表が日中関係にプラスではない」というのは納得できない。ガス田開発は実は開発そのものよりも開発拠点を軍事基地化することに狙いがあるとも言われる。その行為を黙認した方が日本の国益にかなうと、丹羽氏は考えているのか。
丹羽氏は日米同盟を重視する政府の姿勢にも疑問を向ける。
いま中国は日本のことを日本とでなく、米国と話そうとしている。間もなく習近平(国家主席)が訪米する。オバマ(大統領)が急に中国と手を握ることもありうる。かつてキッシンジャー(元国務長官)がやったみたいに、我々の知らないところでジャパン・パッシングが進んでいるのではないだろうか。それなのに米国の後について『中国包囲網をやります』なんていっている。日本の外交はあまりに正直すぎる。
これがかつて日本を代表して中国に駐在していた元大使の意見なのである。まるで無責任な評論家的な発言だ。と言うよりも、中国寄りだ。日本は米国にソデにされるような弱い存在なのだから、中国との関係を良くした方が得策だというのだろう。中国には頭(こうべ)を垂れ、抵抗しない方が良い、朝貢外交がいいと言っているに等しい。
なぜ安保法案を整備するかと言えば、軍事予算を削減する米国に協力して中国の軍事攻勢に備えるためだ。米国政府は集団的自衛権の行使を容認する今回の安保法案に対し、公式に歓迎の意を示している。
むろん政治外交は「一寸先は闇」である。米中の間で日本の頭越しに握手することはありうる。いや、だからこそ、日本は米国との協力関係を強めているのである。「米国は中国よりも日本との関係を重視した方が長期的に得策である」と説得しつつ。アジアや欧州の多くの国もそうした緊密な日米関係を評価している。
その日本を米国はむげにはできない。中国との関係を改善したとしても、それは日米同盟と両立する範囲内においてだろう。そういう環境を築くことが外交の要諦である。
日本は中国と敵対関係を続けるべきでもない。日米関係を安定的に保って、抑止力を強めることが、結果として、日中関係の改善に資するはずだ。安保法案の整備に当たり、安倍政権が国会でことさら中国の脅威を言い立てなかったのも、事を荒立てず、中国との外交関係の改善を意識してのことだろう。
安保法案賛成派の葛西氏は、その点を心得ている。
日米が揺るぎない同盟で結ばれていると思ったとき、中国は初めて紳士的でリーズナブルな隣人になる。それは経済関係にも良い影響を及ぼすだろう。抑止力を持たない国は地域紛争に巻き込まれ得るということをこれまでの歴史が証明している。
正論というべきだろう。
丹羽氏の論理は、中国重視という姿勢だと考えれば、一貫している。中国にしてみれば日本の防衛力増強も日米同盟強化も困る。その思惑に寄り添った発言だ。中国の国有企業CITIC社(香港上場企業)に6000億円も出資するなど、対中傾斜を強める伊藤忠の元首脳ならでは、と感じさせる。
ビジネスで対中関係を強めるのは良い。ただ、その余り、日本の国益を阻害する発言を繰り返すとすれば、看過できない。