オーストリア日刊紙プレッセ8日付はマット・デイモン主演のSF映画「火星の人」(The Martian)を紹介していた。火星に一人取り残された宇宙飛行士の葛藤が火星という惑星上で展開される。米航空宇宙局(NASA)が9月29日、火星の地表に液体の水があることを報告したばかりだ。火星に生命体の存在の可能性も出てきたわけだ。人類の関心が月から火星に注がれ出しただけに、映画「火星の人」はタイムリーだ。是非とも一度、観てみたい。
ところで、読売新聞電子版9日付には「冥王星の空も青かった」というタイトルの記事が掲載されていた。とても刺激的な内容で、いろいろと考えさせられた。以下、概略を紹介する。
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「NASAは8日、無人探査機『二ューホライズンズ』が撮影した冥王星の青く輝く大気の画像を公表した。研究責任者のアラン・スターン博士は『(冥王星で)誰が青い空を予測しただろうか。華麗だ』とコメントした。
地球の空が、大気中の分子による光の散乱で青く見えるのと同様の仕組みで、冥王星の大気中のもやが、青い光を散乱させているとみられる。もやの主な成分は、大気上層の窒素やメタンなどが太陽からの紫外線を浴びることで出来る高分子とみられている」
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冥王星(Pluto)は1930年、天文学者クライド・トンボ―によって発見された準惑星。2006年までは太陽系第9惑星とされてきた。地球を回る月より小さい。
1961年、人類初の宇宙飛行士となったユーリイ・ガガーリン大佐がボストーク1号から眺めた地球は「青かった」と述べたことが伝わると、われわれは感動を覚えたものだ。そして今、冥王星の空も青かったというのだ。
「地球は青かった」というガガーリン大佐のコメントはその地球に住む人間の私たちにとって言い知れない感動を与える。美しい地球に私たちは住んでいるのだ、という感謝の心すら湧いてくるからだ(ただし、ガガーリン大佐は「私は周りを見渡したが神はいなかった」と述べたという)。
冥王星の場合はどうだろうか。冥王星に人類のような生命体が存在すれば、その大気の青さを満喫しているだろうし、それを称えることもできる。冥王星に哲学者が生存していたら、青い大気を仰ぎながら人生を思索するはずだ。しかし、誰も住んでいないとしたら、その大気の青さは誰の為に存在するのだろうか、と考えた。
「観客のいない博物館」を考えてみてほしい。映画「ナイト・ミュージアム」(2006年公開、主演ベン・スティラー)のように、展示されている動物や恐竜が観客がいなくなった夜、ダンスをするかもしれないが、それは映画の世界だけだろう。誰も訪れる人がいない博物館は淋しいというより、誰の為に博物館は存在するのかという疑問が湧いてくる。
冥王星の大気の青さについて、考えてみたい。米無人探査機「ニューホライズンズ」が撮影しなかったならば、われわれはその事実を知らなかったわけだ。換言すれば、冥王星の大気の青さを知らなかった時、冥王星は「観客の無い博物館」のような存在だったわけだ。その孤独から救ってくれたのが「ニューホライズンズ」が送信してきた数枚の写真だったわけだ。
大昔から人は天を仰ぐ。嬉しい時も、悲しく淋しい時も天を見上げる。その天には無数の星が輝いている。そして考え出した。「なぜあの星は輝いているのか」、「あの星はどのようになっているのか」等だ。このようにして人類の天への探査が始まったのだろう。
天には考えられないほどの星が存在する。その大部分はまだ未知の星群だ。多分「観客のいない博物館」だろう。人類が退屈に悩まされることはない。天を仰いできた人類の前にはまだまだ探査しなければならない博物館が無数存在するからだ。孤独で淋しい宇宙に輝く星座の美しさを発見する課題が人類にあるとすれば、その課題を果たす前に、この美しい地球を破壊してはならないわけだ。
このコラムの「なぜ人は天を仰ぐのか」の答えは、「観客のいない博物館」をその孤独から解放し、その素晴らしい展示品を共に享受するためにある、というのではどうだろうか。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2015年10月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。