池田信夫流“身を立てる”文章の書き方とは

アゴラ編集部

言論プラットフォーム「アゴラ」と世界的筆記具ブランド「モンブラン」とのコラボレーションでお送りするブランドジャーナル「NO WRITING NO LIFE」。第2弾は、アゴラ研究所所長の池田信夫です。まだブログが社会的にマイナーだった2004年から論考を書き、日本のネット論壇の草創期から独自の存在感を放ってきた池田本人が、「After2020」の日本社会を担う世代に「書く」ことをテーマに語ります。(取材・構成はアゴラ編集部)
(※この企画はモンブランの提供でお送りするスポンサード連載です。)
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文章は核となる「ネタ」さえあればいい


——池田さんのブログの読者からは「短くわかりやすい」「難しい話でもエッセンスを凝縮している」という声があります。文章を書く上で心がけていることはありますか
文章を「書く」ことには2つの側面があります。1つは「中身」。つまり、どういうネタを書くのかという本質的な部分。文章、作品の価値の7割は「これで行こう」というネタで決まります。

あとの3割は「型」ですが、かかる労力はこっちが7割。学術論文も、経済学なら数式や定理、あるいは自分で集めた実証データがないと学会誌には載せてもらえません。歴史学なら一次史料を引用しなければなりません。そこに手間がかかります。でも、ブログの場合は「型」がないので、その7割の労力が節約できます。

——ブログには「型」がないというのは面白いですね
実は以前、ブログで書いたネタを、学術論文用に焼き直して学会誌に投稿したら賞を取ってしまったことがあるんですよ(笑)。ブログは長くても2時間くらいで書けますが、論文は原稿用紙20枚以上の分量で、むずかしそうな数式や官公庁の統計データを入れて、学問的な形に整えていくわけです。でも、結局、ブログと論文は「体裁」が違うだけで中身の3割の部分を思いついたらしめたもの、とも言えるわけです。そういう意味では書籍は分量が多いので一番大変かな。

“稼ぐ”ためには「型」が大事


——今の若い世代はフェイスブックやLINEでのチャットに慣れてしまい、まとまった文章をブログですら書くのが苦手という指摘があります。池田さんは大学でも教えていますが、若い世代の文章力やコミュニケーション能力をどうみていますか
僕の授業ではレポートを廃止して、フェイスブックで質問を受けています。みんな質問はしないけど(笑)、授業中でもどんどん書き込んでくる。多くは「先生のおっしゃる通り」と迎合してきますが、中には僕が一目置くような異論もあって、そういう学生の評価は高く付けます。
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一方で、今の若い子はSNSを使って「型」のないところから書き始めているわけです。中身のネタの部分は才能さえあればいいのだけれど、逆に言えば中身だけで勝負するのは大変なこと。ブログもよほどオリジナリティーのあるものでないと読まれづらい。個人間のコミュニケーションだけならまだいいですが、一般向け、世間向けに発表しようとするなら、ある程度、文章としての「型」は要求されますので、なんらかの形で身につけないといけませんね。

——完成度の高いアウトプットには「型」も大事ということですか
お金を稼ぐためには、マスコミも学問も型のほうが大事です(笑)。今年書いた「日本人のためのピケティ入門」(東洋経済新報社)は10万部を超えましたが、書籍も商品として成立させるために編集者と半年くらいやり取りしています。中身について編集者からとやかく言われませんが、実はそのやり取りでは「型」が大部分を占めています。

ブログを始めて「書く」意味が変わった


——池田さんが「型」を学んだ原点はNHK時代ですか
入社した頃、ニュース原稿で小難しい文章を書いて上司に直されました。「視聴者は中学3年生を想定しろ」と、よく言われたものです。つまりNHKの番組は田舎のお年寄りを含めて1億人に理解されないとならないわけです。これは色んな意味で勉強になりました。
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池上彰さんとも仕事をしたことがありますが、彼の語り口はNHKのノウハウなんですよ。普通のジャーナリストが「そもそもEUとは何か?」なんて書かないわけですが、彼はこどもニュースを長年担当しているうちに視聴者が子供ではないことを知ったわけです。「今さら聞けない」ことを書く。それがある種のイノベーションになったわけです。

——NHK退社後、学者になってから難しい論文を書くのは大変だったのでは
実は僕にとって学術論文のほうが楽。NHKではメディアで書く「型」を学べた一方で、長年やっていると、大事なことを伝えられないことが多いわけです。特に僕はコンピューターや金融を手がけていましたが、80年代のコンピューターは今のようにカラフルじゃないし、画面に黒い文字が出てくるだけで全然テレビ向きじゃない。取材した時に最先端の面白い話を聞いても、NHKスペシャルの局内試写で偉い人たちに「わからない」とダメだしされて落とすと、いわゆるNHK的な“つまらない”番組になるわけ。そう言う、おじさんたちを説得する労力が番組をつくるエネルギーの7割なんだけど(笑)、39歳の時、管理職の内示をもらって、これから20年以上も面白いものをつまらなくする非生産的な仕事をするのか、と思ったのが辞めるきっかけになりました。

——ブログを始めたきっかけは
経済産業研究所(RIETI)に所属していた2004年に個人ブログを始めました。RIETIは経産省系の独立行政法人なんですが、一応自分の意見は自由に発表していいことになっていました。でも産業政策なんかいらないとビジネス誌に書いたら、経産省の大臣官房から文句をつけられてしまった。それで「じゃ個人のブログなら問題ないだろう」と開設したのがきっかけ。最初は研究論文の断片のような難しいものをメモ的に書いただけなのに、いつのまにか月間200万PVを集めるようになり、広告収入だけで月50万くらい稼いだ時期もありました。小難しいアカデミックな文章でも稼げることに自分でも驚きでした。

そういう意味では、ブログを書き始めて「書く」意味が変わりましたよね。NHK時代に学んだような、当たり障りのない一般向けの文章ではなく、エッジの立った、オリジナルの文章。それも、ちゃんと専門的に検証された内容でですね。もちろん、エンタメは別として、そういう世界はニッチなマーケットでしょうが、アメリカのハフィントンポストなんかは元はブログがスタートでした。「日本でもブログベースのジャーナリズムが成り立つのではないか」と思い、アゴラを2009年に創刊しました。

紙だと発想を自由に書いていける


——肝心の「中身」ですが、アイデアは書き留めたりしていますか
スマホのアプリにも入力しますが、紙にメモを書くことも多いですよ。実は最初に何かを発想するときは、紙とペンが一番自由。全体の構想を考えるときは、グラフにしてみたり、プレゼンテーションのためのイメージを書いていったりします。一番大事な発想や企画は、一瞬で生まれることが多いので、それを逃がさないことが重要です。

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——デジタル時代の手書きの意義をどのあたりに感じますか
手書きの本来の良さとはなんだろうかな。僕とは考えが違うけど、「手書きでないと相手に誠意が伝わらない」という意見の方もいるので「大事なお客様には手書きで」という人は残るでしょう。腕時計の事例を考えるとわかりやすくて、スマホがあるから腕時計を持たない人も増えている中で、時計業界ではスイスの方が日本より儲かっています。向こうは宝飾品としての価値を追求してうまくいっているからなんですが、万年筆も同じように、生活を豊かにする道具として考えればいいのではないでしょうか。

——2020年代以降、「書く」ことの意義はどう変わっていくと思いますか
SNS時代になって変わってきたように「型」はこれからも変わるでしょう、日本語の音声入力はしやすいし、テクノロジーの発達でどんどん変化していく。しかし、ネタの部分、企画のところは変わりませんね。何が面白いのかを発想する。それは訓練もしにくいし、才能の部分も大きい。昔テレビの世界にいたときも、学問の世界にいたときも、今のウェブで発信する世界にいたときもそこは変わらない。

いまの学生や若い人たちは、最初に「型」を学ぶ機会が少なくなっているのが少し心配。型を最初に学んた後にそれを外すのは楽だけど、その逆はしんどいからね。そういう意味では、レポートでもなんでも書く訓練はしたほうがいいでしょうね。やっぱり、僕の教えている学生にもレポートを書かせなきゃダメかな(笑)

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取材の締めくくりに池田信夫に、世界的プロダクトデザイナーのマーク・ニューソン氏がデザインした「モンブランM」の万年筆を使ってもらい、「あなたにとって書くこととは何か?」を綴ってもらいました。(各写真をクリックすると「モンブランM」の公式ページをご覧になれます)
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