卑弥呼は反天皇制のヒロインだ

八幡 和郎

「日本の初代女王だった卑弥呼」という表現をNHKの歴史番組で鶴田真由さんが使っているのを聞いて愕然としたことがあります。日本を公的に代表する放送局であるNHKですが、歴史番組について、中国や韓国の国営放送かと思うことが多いのです。

 中国の冊封体制のもとに日本も古代からずっとあったとかいう番組もありましたが、冊封体制などという言葉自体が戦後の東大教授がでっち上げて歴史教科書に載せさせているガラパゴス的概念だということは、アゴラでもすでに説明したとおりです(冊封体制でアジア史を説明するのは日本の学者だけ)。

すでに、この冊封体制と、任那については取り上げましたので(任那を教科書に載せるなと韓国国会は決議したが 、今回は、邪馬台国とか卑弥呼が有名になったのは近年のことであって、それは多分に天皇制を貶めるための陰謀であるということを説明したいと思います。

中国の史書にそれが書かれていることは『日本書紀』の編纂者たちも知っていて「一書に曰く」という形で掲載しているのですが、何分、日本側の記憶にないことなので、苦し紛れに神功皇后のことかもしれないとか書いてあります。(古代の天皇の寿命を長くしてしまったので、一世紀近く史実より古くなって四世紀の神功皇后が三世紀の人になったせいでもあります)

ところが、戦後、万世一系を否定したいばかりに、天照大神や神功皇后に代わるスターとしてクローズアップされアンチ天皇制歴史観のシンボルになりました。中国の正史に出てくるから日本の女王なのだといいたいのでしょうが、中国の史書は、中国の都でいつ何があったか、どんな報告があったかはかなり正確なのですが、その報告の中身が正しいとは限らないのです。 

邪馬台国とか卑弥呼という名称についても、本当にそういう名だった可能性は低いし、文字も伝わっていなかった時代に卑弥呼の手紙などあるはずがないのです。 ともかく、大事なことは、邪馬台国も卑弥呼も日本国家の記憶の中になにも存在しない存在だということです。それを初代女王でもありますまい。

また、機会を改めて説明しますが、「日本書紀」の系図や事績をそのまま史実だとして、中国の史書や好太王碑などを参考に寿命だけほどよい長さに調整すると、仲哀天皇によって北九州が大和朝廷の勢力下に入り、その急死後に、神功皇后が大陸遠征をしたのは、340年代あたりです。

そして、ヤマトタケルが活躍して関東や九州の一部にまで大和朝廷の力が及んだのが300年ごろ、大和の小領主だった崇神天皇が大和を統一し出雲や吉備を勢力圏に入れたのが250~260年代あたりです。

一方、邪馬台国についていえば、卑弥呼がはじめて魏に使いを送ったのが239年、死んだのが248年、後継者のイヨが最後に使節を送ったのは265年ですから、大和朝廷の勢力力拡大過程と邪馬台国の歴史は交差しようがありません。邪馬台国はイヨの最後の遣使から時間をたたずして滅びたとみられますから、邪馬台国が九州にあったとすれば、大和朝廷が北九州に姿を現す一世紀近くも前に滅びた国だったので大和朝廷の記憶に残っていないということで説明は完了です。謎はありません。『日本書紀』、『魏志倭人伝』など中国の文献、考古学的な成果は無理なく整合します。

そして、ちょうど、卑弥呼が生きていたころは、纏向遺跡など三輪山の麓あたりで、邪馬台国より進んで豊かな文明があったが、群雄割拠でひとつの王国の覇権はなかったということです。そもそも、中国と交流していたクニがその当時の日本列島でいちばん豊かで進んだ地域だったと決めつけるからおかしくなるのです。戦国時代の日本でヨーロッパに遣使したのは豊後の大友氏と陸奥の伊達氏ですが彼らがいちばん有力な大名だったわけではないのです。

日本史の教科書では「中国の史書に邪馬台国の卑弥呼と彼らが呼んだ女王が使いを送ってきたと書いているが詳細は不明である」と書けば十分なはずです。

それでは、邪馬台国が九州のどこにあったのかですが、それは不明です。おそらく魏の使者は邪馬台国に行ってないと思います。なぜなら卑弥呼は人に会わないのですから。

ただ手がかりはあります。魏志倭人伝に帯方郡から邪馬台国まで12000里と書いてあり、不弥国までですでに1070里。残りは1300里。そして、末廬国から不弥国は700里ですから不弥国からは100キロをそれほど超えない範囲でないとおかしいわけです。九州には豊前に京都(みやこ)郡、筑後に山門(やまと)郡があります。また、斉明天皇の筑後の朝倉橘広庭宮とか豊前の宇佐神宮とか由緒ある場所もあります。そのあたりが他よりは確率が高いと思います。

最終解答 日本古代史 (PHP文庫)
八幡 和郎
PHP研究所
2015-02-04

編集部より;この原稿は八幡和郎氏のFacebook投稿にご本人が加筆、アゴラに寄稿いただました。心より御礼申し上げます。