アートバンキングといえば、かっこいいが、あからさまにいって、事実上は、超高級な質屋である。アートを担保とした融資は、融資として回収されるとしても、高利回りの投資機会であり、融資が弁済されずに質流れでアートを取得できるとしたら、アートそのものへの魅力的な投資機会ということになる。
所詮、アートは趣味の世界のものである。別にアートがなくても、生活には困らないし、自分の本業である事業の継続にも差支えがない。その面では、苦労して弁済する誘因に乏しい面もあり、比較的に高い確率で質流れが起きる。
アート担保融資は、債権としてみても条件的に有利であり、債務不履行になっても、アートの低廉価格による取得という意味で、やはり有利である。こうした特性は、アート金融だけでなく、質屋の収益性の本質的な要素なのである。
実際、質草に使われるのは、高価な時計などの換価性の高い贅沢品が主流であって、極めて低い担保掛目で安全性が確保されている一方で、質流れによる低廉価格取得の可能性も大きい。
日本の古典的な庶民金融である質屋と、欧米の先端的なプライベートバンキングのなかのアートバンキングとのあいだに、共通性を見出すのは、偶然ではない。金融には、本質的に新しいことはないのだ。むしろ、日本に限らず、イスラームでもいいのだが、長い商業の歴史について、商業との関連で工夫されてきた伝統的な金融の仕組みを再検討するなかで、現代に生きる金融技法の開発が可能になるのである。
例えば、商品の決済と代金の決済とを時間的にずらす掛けの仕組みは、極めて歴史が長く、現代の日本の商取引でも多用される伝統的金融技法だが、これを片仮名でトランザクションファイナンスと称して、独立した投資対象に構成したからといって、別に何か新しい要素が付け加わるものでもない。
ならば、アートのトランザクションファイナンスもあり得るか。アートを投資対象に構成する技法(アート投資のアート)は、アート担保融資だけではないと考えられる。創造的に考えることは、楽しい。その楽しい知の営みから、投資の技法はいくらも生まれてくるのだ。
収蔵された大きなアートの塊にとって、資産相続や離婚にともなう財産分割は、大きな問題である。短期的に換価を行うことは不利な場合も多いだろうし、そもそも、収蔵家の思想なり趣味なり理念なりで統合されているアート群を散逸させることが望ましいかどうかも疑問である。
いずれにしても、鍵は時間である。時間をかければ、纏めて買ってくれる買手も見つかるだろうし、仮に、ばらばらに売却するにしても、相対的に有利に売れる取引機会も見つかるだろう。しかし、アートを所有する売手側は、期日が重要なので、即時に代金が欲しい。まさに、典型的なトランザクションファイナンスの状況である。こういうときに、一旦投資対象としてアートの塊を取得して、時間をかけて売っていくことは、一つの投資技法として、あり得ることだ。
こうしたトランザクションファイナンス的な状況は、アートよりも、不動産等で起きやすい。こうして、投資にかかわる知的連想を膨らましていくのが、投資のアートである。
森本紀行
HCアセットマネジメント株式会社 代表取締役社長
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