勝者なき完全競争

私の東京の家の周りは中小型スーパーマーケットの大激戦区であります。自転車で5,6分以内に8つあります。大型ではなく、中型であるところに意味があります。それは圧倒的市場征服力がありません。これが意味することは各店舗は常に目玉商品を揃え、新聞にチラシを入れ、客寄せをし続けない限り、客はあっという間にいなくなるということであります。

この8店舗のうち、ある一店舗、それは一番小さいものの新鮮な野菜を安く売ることで圧倒的強みを持つ店が基本的には優位に立っているようです。おまけに野菜以外の商品数は少ないものの必要最低限の一般商品も並べ、目玉商品を打ち出し、新聞広告まで入れた日には黒山の人だかりで午後には野菜はなくなってしまいます。

数か月前、8つのうちの一つで大手の資本が入る店が1年も経たないうち閉店に追い込まれ、先日、後釜に同じようなスーパーがオープン、早速覗いてみました。買い物かごをもって入ったのは良いのですが、何も買うものがなく、空のかごを元に戻して退散してしまいました。理由は商品構成に特徴がなく、値段も開店セールの一部のみが特価であとはごく普通の値付けでした。結局どうしたかというとそこから1分の別のスーパーに行き、総菜コーナーでいくつか購入して帰りました。

この8つのスーパーの存在感とはスーパーとしての機能だけであり、積極的に店に客を呼び込む力は先述の野菜の店以外なさそうです。それはいくつものスーパーを回っていると分かるのですが、商品がほぼ同じで差別化できていないのであります。

ここに9つ目のスーパーが登場します。これは自転車で10分ほどかかるのですが、この店は商品数は少ないのですが、基本的にバルク買い(大量買い)のコンセプトを取り入れようとしています。かといってコストコほどではなく、通常の家庭でちょっと多いかな、程度のバルクです。しかし、価格は圧倒的優位性があり、他の8つと全く比較できない水準であります。

今日のお題は「勝者なき完全競争」でありますが日本のビジネスをみているとこのような不毛の戦いがあちらこちらで行われています。そして消費者のファン層を作りこめず、常時忙しい割に頭の痛い思いをし続けなくてはいけません。

スーパーの場合、商品の仕入れ力と発想の切り口が変われば面白いのに、と思います。例えば、焼きそばの麺は何処でも2社程度のナショナルブランドが似たような価格競争をしています。完全競争なのに選択肢はありません。でも、そこに例えば富士宮の焼きそばがあるとすればあぁ、買ってみよう、と思うでしょう。冷凍餃子に宇都宮のローカルブランドがあったら試してみたいと思いせんか?鮮魚も○○直送ぐらい銘打ってやれば面白いのに、と思います。

日本は店舗構成が標準化しすぎた気がします。どこの店に行っても面白くないのです。造りが同じで商品も売り方も皆同じ。もっと工夫は出来ないのでしょうか?消費が伸びない日本と言われます。財布の紐は固いと言われています。ならば、「緩めてみようホトトギス」ではないでしょうか?確かに日本は成熟社会です。が、お金も持っています。

以前、ブログのコメント欄にクルマは常に改善し、消費者の意識を改善し続けていると意見がありました。その通りですが、私はクルマ以外も進化していると思っています。オーディオは進化が止まったわけではなく、あの巨大なコンポからスマホに入れても音質がさらに良くなる工夫をしました。これはとてつもない進化です。住宅でも自転車でも化粧品でもビールやウィスキーだってどんどん改善しています。ただ、それを消費者とコミュニケートする手段が限られている為にきちんとしたメッセージが伝わっていないのではないでしょうか?

自動車の様に宣伝費をかけられるものは消費者に訴えやすいのですが、他の商品はなかなかその道筋がありません。また、企業側の商品開発部門も10開発して一つ成功すれば良し、ぐらいの発想なため、実はスゴモノの商品があってもすぐにお払い箱になっている現実も存在します。

製造側と消費者、そしてそこに介在する販売店の在り方でしょうか?ネット販売でも結局価格面ばかりが強調され、あまりの品数に結局、価格が安いものを選ぶスタイルとなっていないでしょうか?私もネットでショッピングは良くしますが、最近、見るのが面倒くさくなり、トップ画面に出てきたモノをさっさと買ってしまう傾向があります。それは売る側の様々な努力が全く評価されていないとも言えないでしょうか?

物価が上がらないと嘆く日本ですが、実はこのような社会の仕組みにもその一因があるように思えます。

では今日はこのぐらいで。

岡本裕明 ブログ 外から見る日本、見られる日本人 4月7日付より