大統領選の本当の敗北者は誰か

オーストリア大統領選挙は3万1026票の僅差で「緑の党」前党首のアレキサンダー・バン・デ・ベレン氏(72)が極右政党「自由党」候補者ノルベルト・ホーファー氏(45)を破り、当選したことは報告済みだ。同大統領選は文字通り、国民を完全に2分した。メディアは「極右」対リベラル派、右翼対左翼といった構図から報じたほどだ。

大統領選の両候補者は政治的信条では確かに右と左だ。ホーファー氏は「バン・デ・ベレン氏とは政治的立場が好対照だ。それだけに、戦いやすい」と述べていた。

決選投票では、与党第1党の「社会民主党」、「緑の党」、「ネオス」などの政党がいち早く反ホーファーを掲げ、バン・デ・ベレン氏を支援した。政党の中で唯一、支持候補者を明確に表明しなかったのはキリスト教系保守政党「国民党」だけだ。しかし、同党の中にも元党首のエルハルト・ブセック氏や欧州連合(EU)の元農業担当委員フィッシャー氏は「ホーファー氏を大統領にしてはならない」として、バン・デ・ベレン氏支持を個人的に表明するなど、国民党内で意見が分かれていることが明らかになった。

国民党はドイツの「キリスト教民主同盟」(CDU)の姉妹政党だ。CDUがメルケル首相の下で依然、第1党の力を維持しているが、国民党は社民党の連立パートナー政党に過ぎず、その勢力は選挙戦ごとに得票率を下げてきた。国民党は大統領選では保守派論客のアンドレアス・コール氏(元国民議会議長)を擁立したが、6候補者中、5番目の結果(得票率約11%)で惨敗してしまった。

保守政党「国民党」の低迷は深刻だ。「国民党は本来の世界観を失い、リベラルな社会に迎合していった結果、その求心力を失っていった」と受け取られている。例えば、家族観でも従来の男と女の家庭観から同性婚容認の声が党内で支配的となってきている。ちなみに、同性婚問題ではっきりと反対を主張しているのは極右政党「自由党」だけだ。バン・デ・ベレン氏が所属している「緑の党」は同性婚を積極的に支持する立場だ。だから、伝統的保守派の有権者は選挙では極右政党に票を投じる以外に他の選択肢がなくなってきたのだ。

国民党の低迷化は同国の主要宗教、ローマ・カトリック教会の現状とも密接な関連性がある。オーストリアは国民の約63%がカトリック教徒の国だったが、ここ数年、聖職者の性犯罪の多発などで影響力を失い、教勢が急速に失われている。

日本の読者には理解できないかもしれないが、候補者の宗教問題は有権者に依然、大きな影響力を持っている。だから、選挙戦のTV討論では必ず、司会者から宗教関連の質問が飛び出す。

新大統領に選出されたバン・デ・ベレン氏は無宗教だ。TV討論で司会者から「あなたの信仰は」と聞かれる度、「信仰はない」と短く答えてきた。一方、ホーファー氏は「当然、信仰を持っている。カトリック教会信者だったが、今はプロテスタント教会の信者だ」と答えた。ちなみに、7月初めに2期12年間の任期を満了して退任するフィッシャー現大統領は不可知論者を自任している左翼知識人の代表だ。

国営放送の討論では司会者が「教室に十字架を掛けるべきか」という質問を出した。ホーファー氏は「当然だ」と答え、バン・デ・ベレン氏は「教室内の十字架問題をテーマ化することは避けたい。十字架が掛かっているのならそのままにしておけばいい」と消極的容認論を展開させている。キリスト教徒の有権者の支持を失いたくないからだ(同国の学校法では、生徒の過半数以上がキリスト教徒の場合は十字架を掛けることになっている)。

バチカン放送独語電子版は23日、「大統領選はカトリック信者にとってカタストロフィーだった」という「オーストリア・カトリック・アクション」のGerda Schaffelhofer会長のコメントを掲載していた。同会長は、「選挙戦は最初から大統領に相応しい候補者を探すというより、現連立政権への抗議だった」と述べている。この指摘は多分、正論だろう。

興味深い点は、オーストリアのカトリック教会でもホーファー支持派とバン・デ・ベレン氏派に分裂していたことだ。例えば、ザルツブルク大司教区のラウン司教補佐は、「バン・デ・ベレン氏を支援する人々は過激な左翼の人間だ。教会としてはホーファー氏を支持すべきだ」と主張。一方、「カトリック教会女性同盟」はバン・デ・ベレン氏を支持表明する一方、ザルツブルク大学神学部教授陣は「ラウン司教補佐の発言は他の信条を持つ人々との対話促進を明記した第2バチカン公会議の合意内容に反する」と批判している、といった具合だ。

ラウン司教補佐の発言が報じられると、同国最高指導者シェーンブルン枢機卿が、「教会はどの候補者を支持すると表明する立場ではない」と述べ、ラウン司教補佐の発言を教会関係者としては相応しくないという立場を示唆している。

まとめる。大統領の決選投票は、国民党とローマ・カトリック教会が自身の信条を代表する候補者を失い、その求心力を急速に失っていったことを端的に示す機会となった。その意味で、両者は大統領選の本当の敗北者だった。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2016年5月26日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。