根強い日本人の「舶来尊重」DNA

日下公人氏が雑誌「WiLL」7月号のコラム「繁栄のヒント」にこう書いている。

2016年を迎えたとき「日本の安部(首相)は間もなく世界の安部になる」と考えた。つづいて、そう考える人が少ないのはなぜだろう、と考えた。

理由として、日下氏は「日本は世界をリードする先進国にはなれない」とする牢固とした「常識」が災いしていると見る。

世界で独走するのは先進国で、独創力は「白人国が持っている」「キリスト教国に限る」「民主主義国に限る」「自由主義国に限る」「高度工業国に限る」「軍事大国に限る」と考えてこの条件がない国は永久に後進国だと思ってきた、からというわけである。

だが、本来、先進国はフォロワーが決めるのであって、多くの国が後に続くとき、その国は先進国となり、リーダーとなる、と日下氏は見る。そして、今、安部首相と彼が統治する日本はそうなりつつあるではないか、と。

だが、日本人、中でも一流大学出の知識人はそうは考えない。6月2日の新聞を見ても、安部首相は消費税を再延期したが、「アベノミクスはいよいよ危なくなってきた」という論調が多い。まだ欧米のメディアや政府が安部の政策をそれほど批判していないので、その論調はあまり強くないが、批判が強まれば「それ、見たことか」と一斉になびくに違いない。

然り、日本のメディアは欧米次第なのである。彼らがなんというか、それを見てから決める。自分では考えない。「自分で独走しては危ない」と考えている。

まず日本の学識経験者の意見に頼る。その意見が欧米の知識人の見方に沿っていれば、その信頼度は大きく上がる。紙面づくりにそれが出ている。

このパターンに従わない「独走」した意見の持ち主は危険で、とりわけ国益を強調する思想家は「極右」というレッテルを張って敬遠する。

朝日や毎日などの新聞は典型的だが、政治や外交に「穏健」「中立的」な日本経済新聞の紙面作りも、このワクから出ようとしない。

背景には、やはり70年前に戦争で負けた体験がある。欧米に逆らって「独走」し、とんでもない敗戦を迎えた。もう欧米、とりわけ米国には逆らわない。この思想は牢固として残っている。そこには空襲、原爆投下、焼け跡での飢餓体験という「恐怖」の記憶がある。

「アメリカに逆らってはいけない」。米国への恐怖心は今もずっと続いている。「原爆投下は戦死者を少なくして早く戦争を終わらせるためだ」などという屁理屈がいまだに米国の市民の間に根強いが、アメリカという国は原爆投下、大都市への空襲という残忍な国際法違反を平然とやってのける。そうした冷酷な国だという恐怖心はいまだに日本人の記憶の底にある。

戦前、日本独自の方針で戦争を続けたから、こんなことになった。だから、彼らの要求には基本的に従えという態度が日本人の考え方を縛った、これに日本人に贖罪意識を植え付ける米国の多大な宣伝、教育効果もあり、多くの日本人は東京裁判史観から今も一歩も出られない。

今では日本人の過半が本気で戦前の日本は悪かったと思い込んでいる。もちろん悪い面はあったが、それだけではない。これには戦後、左翼・リベラル系のメディアが日本の過半を握っていることも大きい。

ソ連を中心とする共産・社会主義国家が崩壊した後もそれは続いている。共産国家を信じ、称賛する記事を書いてきた自分たちの責任をあいまいにし、そこから逃れるためにも、共産・社会主義国家に「甘い」記事を書き続けている。

以上、第2次大戦の敗戦とそれに伴う米国への恐怖心、日本人に戦前の贖罪意識を植え付ける米国の教育、さらに共産イデオロギーの浸透が、戦後の日本人の思想的「独走」を抑え続けた、と言える。

だが、それだけではなさそうだ。西尾幹二氏は雑誌「Hanada」7月号でこう書いている。

己をむなしくし、自分独自の考えなど持てる存在ではないのだ、という謙虚な考え方が日本人の属性なのだ。そう思えばそう思えて来る。島国のせいもあってか、舶来尊重のDNAは骨身にしみついているのである。優れたものは、ヤシの実のように遠い島からたどり着くのであって、自分独自のものなど偽物だ、謙虚に学ぶ姿勢こそ大切なのだ、という教わってきた。

日本人も独創性が大事だ、でなければ、グーグルもアマゾンもアップルもフェイスブックも生まれない、と数十年前から言われてきた。だが、具体的にそんな突飛なアイデアを出そうとすると、すぐに「そんなことよりもっと周囲から学びとれ」と言われるのがオチ。企業でもなかなか採用されない。「これも自分独自のものなど偽物だ」という従順な姿勢の産物だろう。

大体、教育そのものが「学ぶ」が主体で「独創」の場はほとんどない。自分の意見を言わせるディベートの場など、今も無きに等しい。受験勉強の大半はひたすら過去の実績を覚えることにすぎない。

だが、そろそろこうした「体系」から決別するときが来たのではないか。何も「日本は優れている」と居丈高になる必要はない。だが、日本の独創性を信じて、それを育てることは大切だ。

ここまでは誰もいう。ならば、安倍首相についても批判ばかりしていないで(批判も大切だということは認めるが)独創性には拍手を送る柔軟性が必要だろう。

米国が軍事予算を削って「内向き」志向に入り、EUが中東ならの移民の大量流入もあってその結束を乱し、中国が軍事攻勢を強める中、安倍首相の独自の世界安定化策が求められているのは確かである。そこを支援する声が今、日本人に求められていると思えるのだ。