若者らしく生きる

雑誌『GOETHE』(16年6月号)に、『今の若者は「内向き」なのか』と題された村上龍さんの記事があります。私は、「今の若者」と一括りにして一種の現代若者のステレオタイプとして物申す気は毛頭なく、大体そうしてみても無意味だと考えています。

夫々の時代に若者が若者らしく生きたらば、それで良いのではないかと思います。彼らが時として向こう見ずな所があるは、若者であるが故許される特権であって、色々な事柄にどんどんチャレンジして行けば、それで良いのではと思っています。

私が若者達に常に在って欲しいと思うは孔子が言う通り、正に「後生畏(おそ)るべし。焉(いずく)んぞ来者の今に如(し)かざるを知らんや…後輩・後進というものは大いに畏敬しなければならない。後から来た者が、何で今の自分に及ばないと言えようか」(子罕第九の二十三)ということです。

そしてまた、仕事にしろ勉強にしろ吸収力・柔軟性に富む若い時に徹底的に知識等を必ず身に付けておく必要があります。「ゆとり教育」など、とんでもない話です。例えば『致知』(16年6月号)の中に連載「二十代をどう生きるか」として、「伸びる人は若い時に仕事漬けの日々を送っている」という道場六三郎さんの記事がありました。

どこまでも上を目指し、謙虚に素直に人の言うことを聞く。そして、どんなに辛いことがあっても、ここが踏ん張りどころと思い、逆境をも喜んで受け入れ、苦しいことから逃げない。決して諦めない。そこが一流と二流を分けるのです――道場さんは、こう述べられています。

之は今も昔も変わらず、全くその通りだと思います。言ってみれば大学を卒業して後、20代というのは基本的に勉強時間であり、与えられた仕事を迅速に「一気呵成」にこなして行かねばなりません。

森信三先生の言葉を借りて言うならば、「少しも仕事を溜めないで、あたかも流水の淀みなく流れるように、当面している仕事を次々と処理していく」のです。そういう日々の連続の中で鍛えられ行く過程を経ずして、終局大成することはありません。

原則としては「一気呵成」が事を成す秘訣だと言っても良いでしょう。若いうちから「一気呵成」を心掛けることにより、我々は人生においてより多くの有意義な時間をつくり出すことが出来るのです。

ちなみに上記『論語』の章句は、次のように続きます――四十五十にして聞こゆること無くんば、斯(こ)れ亦(また)畏るるに足らざるのみ。…一方、四十歳、五十歳になっても、何一つ評判が立たないような人は、畏れるには足らないよ。孔子はまた、「年(とし)四十にして悪(にく)まるるは、其れ終らんのみ」(陽貨第十七の二十六)とまで言っています。

人生80年とすれば、40歳は丁度折り返し地点に当たります。後半生を有意義なものにしたいのであれば、40歳迄は仕事を通じて必死になって自己を確立する必要があるわけです。私は嘗て『仕事との向き合い方~20代・30代・40代・50代~』(13年8月20日)と題したブログを書いたことがあります。御興味がある方は是非読んでみて下さい。

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