今週のメルマガの前半部の紹介です。
政治資金の公私混同でモメにモメていた舛添都知事がとうとう辞任に追い込まれました。筆者は別に辞めることについてどうこういうつもりはないですが、氏が辞任に追い込まれるプロセスには、仕事柄、個人的にいろいろと考えさせられるものがありましたね。
これからの社会と個人の在り方を考える上でいいケーススタディになると思われるので、簡単にまとめておきましょう。
良い組織は加点主義で、ダメな組織ほど減点主義
ところで「良い人事制度」ってどういうものでしょう。業種や経営方針によって大きく変わるので「こういうのがベストだ」みたいなことは一概には言えませんが、良い組織、成長過程にある会社には、ある共通点があります。それは「評価の基準が加点主義で、みんなが挑戦していること」です。
もちろん、人間ですから、評価の高い人材、まあまあの人材、イマイチの人材はいます。けれども、どの層の人材も希望を失わずに競争している組織ですね。そして、そうした組織は、きまって評価制度の根底に加点主義の価値観があります。要するに「これから何をやるか」で競うわけです。
一方、悪い組織にも共通点はあります。それは「評価の基準は減点主義で、新しいものに挑戦する人がほとんどいないこと」です。ボーナスの査定で高評価はたいていいつも同じ人が独占し、その人以外のメンバーはすっかり白け切って最低限必要なことしかやらない職場をイメージしてください。あるいは、40歳を過ぎてヒラ社員コースが確定し、ぼーっとした顔で日がな一日PCをいじっているオジサンがいっぱいいる会社でもいいです。
とにかく、人事が硬直的だと、上がり目が無いと分かっている下はもちろん、(下のものから挑戦されることもないから)上の人まで挑戦しなくなるものなんです。よく「ソニーは昔は良かったが社長が変わって保守的になった」みたいなことをおっしゃるベテランがいますが、筆者に言わせれば、単に年功序列で管理職が4割にも膨れ上がった結果、誰もリスクをとらなくなっただけでしょう。
こういう会社は、きまって評価制度が減点主義で行われています。ほっておいても挑戦しない人が多いから、減点主義でやらざるをえないんですね。目標管理制度をやっても「やらなきゃいけないことを羅列され、出来ていないことを理由に減点される」というような組織は典型です。
さて、今回の都知事の辞任劇ですが、筆者はまるで落ち目の会社のダメな足の引っ張り合いを見ているような印象を徹頭徹尾受けましたね。そりゃ家族で回転寿司行った領収書とかヤフオクで絵を買った経費とか計上しちゃダメでしょうけど、政治資金規正法上はあくまでグレー扱いで金額もせいぜい100万くらい、本人も給料返上で再発防止策も色々出してきているのに辞任まで追い込むというのは、超減点主義と言っていいでしょう。
今回のような超減点主義人事をやってしまうと、恐らくこれから都知事に立候補したいという人には、相当のプレッシャーがかかることになるでしょう。にもかかわらず手を上げる人は、以下のようなタイプの人たちです。
1.仕事ができるかどうかは未知数ながら、とにかく脇の固さにだけは自信がある人
2.脇が甘い固い以前に、叩かれて最悪辞めさせられてももともと失うものが無い人
1番のタイプは、ひょっとすると既に永田町の過半数を占めているのかもしれません。「この人はいったい何のために政治家をやっているんだろう」という具合に芯はぜんぜん見えないけれども、自身の生き残りにかけては素晴らしいセンスを発揮されるセンセイ方を、きっと誰でも一人や二人くらいは顔が思い浮かぶと思いますが、あれこそ減点主義組織における適者生存の結果なのです。
今回、国政の大物議員が出馬を見送る一方で、「えぇ!?」と言うような人が早々と立候補を発表しているのは、はやくも上記のような「人材のデフレスパイラル」が顕在化している可能性が高いです。
以降、
舛添さんが叩かれまくった理由
なぜ日本の政治家の質は下がったのか
編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2016年6月23日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった城氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。