日光国立公園の中禅寺湖畔には、明治中頃から昭和初期にかけて、
各国大使館をはじめ多くの外国人別荘が建てられ、
国際避暑地として異彩を放っていました。その数は、
大正末期には40を超えていたそうです。明治維新に大きな影響を与えたトーマス・
グラバーや英国の外交官アーネスト・サトウもこの地を愛し、
こだわりの別荘を建造しました。
そのサトウの別荘は、その後英国大使館別荘として長年使用されてきましたが、このたびイタリア大使館別荘とともに往時の姿に復元修復され、記念公園として7月1日から公開されることとなりました。
かつて中禅寺湖では各国のセレブたちがヨットを浮かべ、明治39年には男体山ヨットクラブという外国人クラブがあったそうです。湖上では国際ヨットレースも開催され、時には水上飛行機が飛来するなど、当時の華やいだ文化水準の高さが偲ばれます。
別荘内からは、アーネスト・サトウの故郷である英国の湖水地方を彷彿とさせる絵画の如き風景を、一本の木立にも邪魔されることなく展望することができ、特に2階の広縁から臨む湖は絶景です。
この最高の眺望を実現するため、サトウは水辺から8mの高さまで三段の石組を組んで、別荘の位置をかさ上げしたそうです。
アー ネスト・サトウは大使館員として、西郷隆盛、大久保利通、五代友厚、伊藤博文、井上馨、勝海舟など維新の志士や元勲たちと交流し、幕末から明治へと激動の日本を陰で支えました。その一方、日本各地を訪れ、言語、考古、歴史、民俗、地理、宗教などに関する数多くの論文を日本アジア協会に発表するなど、日本研究の第一人者としても活躍しました。明治5年には西洋人として初めて伊勢神宮を正式参拝し、神宮についての学術論文を発表しています。
私は4年前に英国・湖水地方のウィンダミアに逗留したことがありますが、その深い森と限りなく澄んだ水の美しさに強く心打たれたことを、昨日のことのように思い出します。また潤い豊かで柔らかな大気には心洗われると同時に、たまらない懐かしさをおぼえました。
ひょっとするとサトウも、ここ中禅寺湖で同じような体験をしたのではないか。日本人と英国人には、大自然の中で培われた共通の感性や精神性が備わっているのではないか。そんなことを、この山荘からの唯一無二の眺望は想像させてくれました。
さて、サトウが日本人の庭師を呼び寄せて作らせたという密やかな日本庭園を抜けて、
緑滴る石橋を渡ると、
軽井沢風の木立の向こうに、旧イタリア大使館別荘が見えてきます。
この大使館別荘は昭和3年に建てられ、平成9年まで歴代の大使が使用していました。その最大の特徴は、檜皮葺ならぬ「杉皮葺」。それも屋根だけでなく、屋内外の壁から天井など、至る所が意匠を凝らした杉皮と竹で葺かれています。
茶室などにみられる「真・行・草」
の建築様式から発想したところもあるのかもしれませんが、
さすが芸術の国イタリア、
そのデザイン性の高さと抜群のセンスには脱帽です。
ちなみに、使用されている杉皮がこちら。
もちろん、この別荘からも湖は眼前に臨めますが、英国大使館別荘と比べると彼我の差は明らかです。
このイタリア大使館別荘には、瀟洒な副邸も併設されています。木立とのバランスの良さも絶妙で、心憎いですね。
英国人がいかに大自然を愛し、イタリア人が自然を活かした芸術をいかに愛しているか、二つの別荘を比較するとよく分かります。
記念公園となって復元された英・伊の別荘と並んで、中禅寺湖畔にはフランスとベルギーの大使館別荘が存在し、現在も使用されています。
こちらが中禅寺湖から見たベルギー大使館。瀟洒で愛らしい別荘ですね。
こちらが、イタリア大使館。鬱蒼とした緑に覆われていることが分かります。
こちらが英国大使館。湖から眺めると、石組みがどれだけ高いか一目瞭然です。
で、フランス大使館はと言うと、深い木立に囲まれていて湖からその建物を臨むことはほとんどできません。もちろんセキュリティの問題もあるのでしょうが、これだとおそらく別荘内から湖を眺めることはほぼできないと思います。
フランス式庭園が完全なシンメトリーであるように、自然を完全に人の力でコントロールしてしまうフランス人にとって、中禅寺湖の大自然はなんとしても愛でていたい対象ではないのかもしれません。(勝手な推測ですが…)
いずれにしても、7月1日から大使館別荘記念公園の公開が始まります。中禅寺湖畔に刻まれた歴史と豊かな自然を満喫しに、是非一度訪れることを心からお勧めいたします。