日本は右傾化しているのか?「ゆとり世代」の視点 --- 神谷 匠蔵

寄稿

近年世界中で「右傾化」が進行しているという声を方々で聞く。「右傾化」を憂うる声は日本国内でも特に大学の社会科学系の教授方などからも発せられることが多い。筆者が慶應義塾大学法学部法律学科に在学していたころも、「憲法」の講義の数回分が安倍政権の「改憲」批判に充てられたこともあった。だが、日本は本当に他の先進諸国と比べて右傾化しているのだろうか?思想的次元で世界に取り残されているのであろうか?この点について「ゆとり世代」に該当する筆者が自分の視点から若干考察してみたい。

「進歩的知識人」の後退

「右傾化」を憂慮する人々は、自らを「進歩的知識人」と自己認識しておられる方が比較的多いかと思われる。「進歩的知識人」というのは、一般には丸山真男氏や川島武宜氏など太平洋戦争(進歩派は「15年戦争」と呼ぶ場合もある)を経験した当時若手の研究者らを中心に、日本に「リベラリズム」を浸透させようと試みた人々、あるいはその影響下にある後継の人々のことを指す。

ところがこの流れは冷戦後になって急速に衰えた。このことは現代の日本政治の動きを一瞥するだけでも明らかである。例えば、舛添氏辞任後の都知事選に関連して、左派系政党の後援候補が敗退したことをもって松本徹三氏は『「オールド左翼」はもう時代遅れである』ということを示す証左だという趣旨の発言をしている。松本氏の言う時代遅れの「オールド左翼」に該当しているのは、まさに安保闘争を戦った「進歩的知識人」や「革新的な人達」であり、氏の批判の対象が彼らの掲げていた「リベラリズム」の欺瞞であるのは明らかだ。

つまり、個人の人権擁護を核としあらゆる集団主義に抵抗することを主眼とする「政治的リベラリズム」を日本に導入しようという進歩派の試みが国民の目には「中韓へのおもねり」や日本の伝統や歴史の「自虐」的過小評価としか映らなかったのである。進歩派はこれまでこのような国民の側からくる批判を「無知」あるいは「無理解」として侮蔑してきたが、今となっては進歩派の方が侮蔑されるようになった。上述の松本氏の記事はインターネット上にあふれる無数の「左翼」批判の骨子を簡潔に要約している。

「欧米流のリベラル」派の台頭

一方で、八幡和郎氏のように欧州風の「穏健右派」あるいはアメリカ流の「リベラル」という立場をとる知識人が財界や産業界のエリートを中心に最近徐々に増えている。特に海外滞在経験や留学経験のある方々などにこの傾向は顕著であるように思われる。アメリカ流のリベラリズムというのは、ざっくり言えば『経済の自由化を核としつつそれを支える主体としての「政治的に自由な個人の創出」を是とする思潮』である。

このようなアメリカのNeo-liberalism あるいはLibertarianism (新自由主義)を「ブルジョワ」イデオロギーと看做した進歩派はあくまで旧来の政治的リベラリズムに拘りアメリカ流のリベラリズムを警戒してきたが、アメリカ留学経験者などを中心に徐々に新しいリベラリズムを受容する人々が増え、その結果アメリカのリベラル派から見て「左」すぎる、つまり社会主義的すぎる進歩的知識人の政治的リベラリズムは「時代遅れ」のものという認識が徐々に広がっていった。

欧州は右傾化しているか?北欧諸国およびドイツの「人道政策」

ところで、欧州の方はどうなっているのであろうか。まず、スウェーデンや冷戦後のドイツなど、北欧のゲルマン国家は国民のための福祉政策や環境政策に留まらず、冷戦前は東ヨーロッパやアフリカ、最近では中東などからの難民や移民を積極的に受け入れているという意味で「政治的リベラリズム」が深く根を下ろしていると言える。進歩的知識人によって北欧諸国が理想郷のように描かれるのも頷けるほど、ゲルマン語圏では政治的「リベラリズム」が浸透しているのだ。

旧帝国主義列強の「多文化主義」

また、世界的に「進歩的」と評価される北欧諸国に限らず、最近EU離脱を決定したイギリスやラテン語派系のフランスを中心とした旧帝国主義列強諸国もかつて所有していた植民地からの移民を大量に受け入れ文化的多様化の道を選んだ。その結果パリには常に外国人移民および観光客で溢れ、ロンドンに至ってはもはや「白人」は人種的「マイノリティー」になってしまっている。その影響はロンドンの日本食料理店のメニューにも現れている。ロンドンでは、日本食や中華料理においてさえ、「豚肉」を当然のように使用することはもはや許されていないかのごとくである。実際ラーメン店など一部を除いて、多くの日本料理店では「カツ」系統では「チキンカツ」しかなく、「豚丼」や「ギョウザ」のような豚肉が欠かせないものは鶏肉で代用されるかメニューから削除されているのだ。

これは何も欧州で「動物の権利」を主張する菜食主義者が増えているのが理由ではない。菜食主義者の多くは健康のためではなく思想的・イデオロギー的理由から肉を絶っているのであるから、そもそも鶏肉どころか卵や牛乳でさえ口にしないように気をつけている人も多い。従って「豚」を「鳥」で代用しているのは明らかに宗教上の理由で豚あるいは牛を口にしない人々への配慮であり、この程度の配慮はロンドンではもはや飲食店を営む上での当然の義務であるかのようである。

「政治的リベラリズム」へのヨーロッパ人の反発

このように、ヨーロッパには否定しようもない物理的現実として「文化的・人種的多様性」が厳然と存在しているため、ヨーロッパの「リベラリズム」は必然的にアメリカよりもより政治的色彩を帯びている。それにも関わらず、あるいはそれだからこそ欧州では「復古的」な「新しい右翼」(厳密には、主にフランスのNouvelle Droiteと英語圏のNew Rightの二つがあり、これらは思想的、文化的および世代的に全く異なっているのだが、双方とも興隆の背景は似通っている)が70年代から80年代にかけて徐々に支持を増やしてきた。これが「世界規模」で起こっていると言われる「右傾化」である。

近年のアメリカにおける「トランプ現象」をこの中に含める場合もあるが、いずれにせよ「ナチス」および「帝国主義」という過去への反省から欧州では日本以上に激しい「自虐」が蔓延し、”white guilt” (白人であることへの罪悪感)という感情が一般に広がっている。動物どころか人工知能にさえ“right”(権利)を与えなければならないという考える欧州の政治的リベラリズムの背景にあるこの「自己嫌悪」に反発する人々は、相次ぐテロリズムに対する反感を原動力に欧州でも徐々に数を増やしつつある。

ただ、注目すべきはこの「右傾化」現象が主に定年間近の中高年と最若年層(18歳から24歳)の間で生じているということだ。例えばフランスのFront National (国民戦線)は将来を案ずる経済的弱者をとりこみつつあり、現在でも 中道保守政党(les Républicains)を支持している固定層はほとんど絶滅寸前の敬虔なカトリック教徒や65歳以上の高齢者にまで限定されてきている。FNの台頭は確かに政治的リベラリズムへの反発という意味での「右傾化」が経済的弱者を中心に進行しているが、まさにFN支持層が経済的弱者であるがゆえに「経済的」な右傾化(=リベラル化)はこの層では全く生じていない。従って欧州の「右傾化」はあくまで政治的リベラリズムに対する反発という形で表れているのみであり、かつその主体は年齢層や世代的特徴よりは「経済的弱者」というカテゴリに該当する人々が中心であると言える。ただし今の段階ではこの「極右勢力」は選挙で大勝し与党になれるほどの支持を集めておらず、「政治的リベラリズム」の浸透度が非常に高いのは否定しがたい事実である。

改めて、日本は右傾化しているか?

こうして振り返ってみると、「日本の右傾化」と呼ばれる現象の欧州のそれとの相違点がいくつか明らかになる。第一に、日本の右派政党はどの政党もFNのように経済的貧困層に熱烈に支持されているというわけではない。例えば安倍政権は「憲法改正」を掲げるなど「政治的リベラリズム」に批判的姿勢を示し続けているが、他方で「新自由主義」的な経済的自由化政策も進めている。この為に安倍政権は少なくとも経済政策という点では経済的弱者よりもむしろ富裕層にとってより支持できる政権であると言えるが、政治的政策に関して富裕層は必ずしも安倍政権の「戦後レジームからの脱却」の方向性に賛成しているわけではない為、一種のねじれが生じている。

第二に、日本の24-64歳までの「働き盛り」世代は仕事で忙しく政治的イデオロギーそのものに関心を持つ暇がないせいか、政治的に無色化している一方で経済的には徐々に「リベラル化」しているように見える。もちろんこの層にも安倍政権が時折掲げる復古的な政策に内心では共感している人も一定数存在するだろうが、大多数はあくまで経済への悪影響が及ばない程度に抑えてほしいと考えているように思われる。つまり、この層に関しては経済的自由主義を擁護し社会主義的政策に強く反対するが、それは明治憲法への回帰を目指すような方向とはまるで異なっている。だが欧州ではこの層の内部でもより高齢になるほど「政治的」右傾化の傾向が強く見られる点が日本との相違点となる。

第三に、日本の若者は特に「受験エリート」を中心に経済的な意味で右傾化(市場経済支持、反社会主義)しているが、大多数はマイルドな「(政治的)リベラリズム」にも賛成している良く言えば「行儀のいい」、悪く言えば「優等生的な」人が多い。「シールズ」現象はこのことを雄弁に語っている。日本では新卒市場も欧州に比べてそれほど悪くなく、移民によるテロなどの政治思想的に過激化する理由も特にないためか、欧州の若者のように強烈な反体制的思想に染まっている人は少なく、政治参加と言ってもあくまで「学校の先生に褒められるような」優等生的な政治参加に留まっているように思われる。 少子化に伴い相対的に高学歴化した「ゆとり世代」では、マイルドな優等生的リベラリズムが広がっているのだ。従って、総合的に言えば日本も欧米主流派の「マイルドな政治的リベラリズム+経済的リベラリズム」という流れに乗っており、かつ世代が下がるほど政治的にリベラル化している点も(「リベラル」の程度の差はあれ)欧州の高学歴層の傾向と一致している。

もし日本が「右傾化」して見えるとするなら、それは日本が元々「右傾」していたからに過ぎず、実際には日本の「保守主義」も徐々にヨーロッパの穏健右派程度にまで「左傾」しつつあるのが現状ではないだろうか。自民党が「LGBT理解増進法案」を通したことなどはこれを象徴しているように思われてならない。現代の日本が右傾化しているというのが真実であり得るとしたら、それは単に欧州ほど劇的に左傾化せず比較的に穏健な「リベラリズム」が育まれてきた結果、世界の中で見れば相対的に右寄りに見えるという事実を指摘している限りでのみだろうと思われる。

ただ、それゆえに全く逆の意味で日本はむしろ世界の流れに逆行しているかもしれない。

つまり、欧州ではこれまで世界大戦の経験に対する罪悪感から政治的リベラリズムが過度に強調されてきたが、現代では行き過ぎた政治的リベラリズムに対する反動として「右傾化」現象が起こりつつあるのだが、日本では戦後10年も経たないうちに「逆コース」現象が起こり短期間で反動化した為、そこから徐々に「リベラル化」していくという過程を数十年かけてたどっており、今でも「リベラル化」の過程が続いている、ということである。

従って、結論としてはこうである:日本では政治的右傾化など全く生じていない。むしろ政治的には徐々に左傾化し、経済的には急激に自由化されつつあるのが現状である。

神谷 匠蔵
1992年生まれ。愛知県出身。慶應義塾大学法学部法律学科を中退し、英ダラム大学へ留学。ダラム大学では哲学を専攻。

<追記>

*本文中の『ロンドンに至ってはもはや「白人」は人種的「マイノリティー」になってしまっている。』というのは、具体的には「白人のイギリス生まれのイギリス人」、つまり伝統的意味での「生粋のイギリス人」が2011年時点でロンドン全体で50%未満であるとの報告に基づいています。他のヨーロッパやアメリカなどから移住してきた外国籍を持つあるいは外国生まれの「白人の移民」等も含めれば広義の「白人」の比率は(少なくとも2011年時点では)ロンドン全体では50%を超えるので広義の「白人」がマイノリティーだとは言えませんので、本文中の表現は誤解を招く表現であり、深くお詫び申し上げます。(ただし、ロンドン内の一部地域では白人全体の比率がアジア系(主にインド系)を大きく下回る地域も複数あります。)