教職員会議、大っ嫌い --- 天野 信夫

寄稿

学校は会議の多いところです。学校によって名称は変わりますが、例えば中学校では、職員会議、学年会議、指導部会、事務部会、教科会等があります。体育祭や文化祭、遠足や修学旅行、卒業式や入学式などの学校行事の準備委員会もあります。生徒会やPTAの各委員会へも、教員は担当として出席しなければなりません。部活動の顧問には、部活動運営委員会もあります。教育委員会や地域が主催する、校外の会議会合もあります。

月一のものを隔月にするなど、最近はどの学校も会議を減らすよう工夫や努力をしていますが、学校が抱える会議への負担はなかなか減りません。

私が一番大変だなと思ったのは職員会議です。初任の頃、職員会議で一般の教員と校長が怒鳴り合っている場面を目にしてびっくりしたのを覚えています。職員会議では、主に翌月の行事予定の確認や、係の教員から担当事項の提案などがあります。

今はそうでもありませんが、私が初任の頃はまだ組合活動がとても盛んでした。活動に熱心な教員が、卒業式入学式の君が代日の丸で、校長といつもぶつかり合っていました。他にも学力テストや生徒指導上の案件など、ぶつかり合う議題には毎月事欠きませんでした。

議論が尽きると採決になります。採決は、挙手によるものと無記名投票によるものとがありました。大抵の場合は挙手でしたが、挙手だと自分の立場が旗幟鮮明になるわけですので、八方美人の私はどちらかと言うと無記名投票の方が好きでした。

職員会議は学校の最高議決機関だからその決定は絶対だという考え方と、職員会議は校長の職務遂行上の補助機関に過ぎないからその決定は校長を拘束しないという考え方の、この二つの考え方が併存していました。現場はこのため余計に混乱し、当時の校長はなかなか大変でした。

当時の組合には力がありました。熱心に活動する先生たちが、会議の場の雰囲気や空気を醸成していました。孤立は避けたいという気持ちが自然と働きますので、たとえ妥当だなと思っても、校長の意見に味方をするのは実際かなりの勇気が必要でした。理よりもその場の空気の圧力の方が勝ります。

日本はこれで戦争に負けたんだなと、今にしてそう思います。気弱な私は、職員会議が大っ嫌いでした。

天野 信夫 無職(元中学教師)